4つの都市を巡る旅(リスボン編)

旅行

6/18 リスボン1日目

ヒースローからリスボン空港にポルトガル航空で飛びました。欧州のビジネスクラスシートはエコノミーと同じサイズで前後には余裕あるけど、数時間のフライトならエコノミーで十分です。食事にポルトガル名物のエッグタルトが出たけどすごく甘かった。リスボン空港への着陸の前に、ベレンの世界遺産のモニュメントが見えました。

リスボンのポルテーラ空港到着後、空港内で交通と観光に5日間使えるリスボンカードを購入し、それを使ってメトロで市内まで向かいました。ホテルは観光エリアにあり、グーグルマップで検索するとホテルは近くのメトロ駅から10分ちょっと、と表示されたので駅から歩いたのだけど、ポルトガルは坂の街だということを忘れてた。途中からポルトガル特有の細かい石畳の上り坂が延々と続き、トランクを引きずりながら20分ほど歩いて、やっとホテルに辿り着きました。

ホテルは町家を改造したようなところで、エレベーターはないけど2階だったのでアクセスに問題なし。部屋は快適でした。

チェックイン後、早速すぐ近くにある大正遣欧少年使節が訪れたサン・ロッケ教会を見学に出ました。創建時のファサードは失われており正面から見るとごく普通の教会ですが、内部は当時のまま荘厳で素晴らしかった。

サン・ロッケ教会見学後は繁華街の坂を下っていきました。これはエッフェル塔の設計者の弟子が作ったという街中のエレベータ。リスボンには色々なところに坂を回避するためのエレベーターがありました。このエレベーターはそれ自体が観光名所で有料。

さらに坂を下ると海辺の広々としたコメルシオ広場に出ました。門の屋上に上がれるらしいのだけど最後まで入り口が分からなかった。

広場から海辺の遊歩道を散策してホテルに戻ることにしました。途中、何かの祭りなのか、若い人たちが踊りながらねり歩いてました。日本と違い、音楽が街角に溢れているのは素晴らしい。

夜はファドの店に行ってみました。アンブレラスカイになってる通りの先にファドの店はありました。歌い手の目の前の良い席だったけど、正直、歌い手が若く表現力に欠ける印象がありました。後で調べるとここは若いファド奏者を育てる目的がある店だそうで、正直観光客向きでなかった気がします。

さすがに疲れが出てきて夜はぐっすり寝てしまいました。

6/19 リスボン2日目

午前中は地震で崩壊した後そのまま博物館になったカルモ教会を見学しました。地震の教訓を伝え、さらに観光資源としても機能させているのは中々賢いやりかたです。

午後はサン・ジョルジュ城 に歩きました。リスポンでも人気のスポットらしく入場までに20分ほど並んで待ちました。小高い丘の上に建てられた城からの眺めは抜群で、ここが紀元前からの要衝であることがよく分かりました。

城を見た後は坂を下り大聖堂を見学しました。欧州の旧市街には必ず大きな教会がありますが、ここリスポンの大聖堂も歴史を肌で感じさせる気品と風格のある建物でした。

6/20 リスボン3日目

この日は朝から世界遺産がひしめくベレン地区へ電車で向かいました。最初に欧州でも唯一という馬車博物館へ。広々とした施設内に歴史的な馬車がずらりと並ぶ様は壮観。さらに馬車の側面に描かれた絵や彫刻が見事で、ここはリスボンで特に訪れる価値のある施設だと思います。

ジェローニモス修道院は王宮の隣にありました。ところがなぜか軍楽隊が出て騎馬警官が行進しており、警備が厳重で中に入れない。警備中の警官に聞くと、この日は首相が国王に会いに来るので入れない、おそらく開門は13時以降になるだろうとのこと。騎馬警官の行進は見ものではあるけど先に海側の施設を見学することにしました。

テージョ川河畔の「発見のモニュメント」には、世界に進出した頃のポルトガルの偉人達の像が並んでおり、バスコダガマやフランシスコ・ザビエルなど日本でも有名な名前が見えました。

屋上にはエレベーターで上がります。屋上からはテージョ川を行きかう船が見えました。地上には世界地図が記してあり、彼らポルトガル人が最初に訪れた国や場所を世界地図上に、その年代と共に記してあり、日本への種子島漂着(1543年)も、1541年の「発見」として地図にありました。

次は川沿いを歩いて、ジェロニモス修道院と共に世界遺産を構成するベレンの塔に行きました。本来なら修道院に行くはずの人が多くこちらに流れたようで、入場制限のため炎天下、約一時間待つことになりました。ここは16世紀にマヌエル1世によって作られたテージョ川の船の出入りを監視する目的の要塞で、強固な造りが特徴的でした。 

修道院に戻る途中のレストランでお昼にしました。大きなイカが2つと海藻のサラダでお腹いっぱいに。

ジェローニモス修道院に着くともう入場制限が解けていました。しかし入場者が長蛇の列だったので、同じ敷地にある海洋博物館に先に行くことにしました。ポルトガルが世界に覇を唱えた頃の帆船の模型、大砲、羅針盤などがたくさん展示してあり、ここも馬車博物館に劣らず面白かったです。

海洋博物館見学後、満を持してジェローニモス修道院に戻り入場の列で30分ほど待って修道院をやっと見学できました。高い回廊と緑の中庭が印象的な建物でした。結局、ベルン地区の見たい場所はほとんど見れたことになります。

疲れたのでホテルの隣のレストランで夕食にしました。ポルトガル料理の定番、鱈の塩漬け「バカリャウ」を頼んだのですが、確かに日本人の口に合う感じです。ここでは毎日アメリカ人のシンガーのライブがあり、個人的にはファドの歌い手より楽しめた感じです。

6/21 リスボン4日目

リスボン3日目は近郊の世界遺産シントラに、ベルトラの一日ツアーで行きました。7名のツアーで、メルセデスのワゴンに乗車し運転手兼のガイドさんが案内します。

ツアーの最初の目的地は王族の別荘があったカスカイス。マドンナも別荘を持っている高級リゾート地らしいけど、ヨットハーバーとビーチがあるくらいで我々庶民にはあまり見るところがない感じでした。

次はユーラシア大陸最西端のロカ岬。荒涼とした場所で、地の果てに来たという感覚になります。ポルトガルの大詩人カモンイスの、「ここに地終わり海始まる」を刻んだ石碑の前で写真を撮りました。

今回のハイライト、シントラのペーナ宮殿に行く途中のレストランで昼食を取りました。天井から下がっているこの店の名物という黒豚を頼みました。ポルトガルは何を食べてもおいしい。

そして今回のハイライト、シントラのペーナ宮殿。シントラは最近欧州で人気が出てオーバーツーリズム状態だそうで、道路は渋滞してるし、入場のために20分ほど待つことになりました。写真の中心にいるのが今回のガイドさん。ポルトガルから出たことはないとのことだけど、日本とポルトガルの関わりから欧州で活躍する日本人サッカー選手まで、とても発音の良い英語で話してくれました。

ペーナ宮殿は1836年にフェルナンド2世により建てられ、19世紀ロマン主義を象徴する建築とのことですが、様々な様式が入り混じった不思議な世界でした。

最後に宮殿の入り口にある奇妙な彫刻の説明がありました。

ガイドによれば、この彫刻はここを作ったフェルディナンド2世がダーウィンに傾倒していて、ダーウィンが「種の起源」を出版する以前に、生命の海からの進化を表すために作ったものだそうです。びっくりする話です。

ロカ岬では少し曇ってたけど、シントラは青い空が望めました。シントラはこの時期晴れることが少ないようでラッキーでした。人が溢れたシントラですが一人の日本人にも出会いませんでした。一体日本人はどこに行ってしまったんだろう。

ということでポルトガルを満喫した4日間でした。多くの人が言うようにポルトガルは、食べ物は美味しいし、人は素朴で魅力的な古い都市がたくさんあります。リスボンではもう少し好きな市電に乗りたかったな、という後悔があるし、またポルトガルには来たいと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました