聖徳太子をめぐる旅

旅行

奈良博

4月に引き続いて7月にも奈良を旅しました。初日は奈良に来ると必ず寄る興福寺を見学。阿修羅像や木造金剛力士立像で有名な仏像群は何回見ても面白いです。

お昼は興福寺近くの柳茶屋で。客は僕一人だったのでのんびりできました。

お昼の後は興福寺隣の奈良国立博物館、通称奈良博へ。ここでは「奈良博三昧」という展覧会が開催されていました。

大抵の仏像は寺院または博物館で公開されていますがほとんど写真に撮ることはできません。でもこの博覧会は珍しく写真OKなのです。以下たくさん撮った写真の一部。

幸運なことに前回は撮影禁止だった通常セクションの金峯山寺仁王門の金剛力士立像の撮影も解禁されていました。金峰山の仁王像は東大寺南大門のそれよりやや小さいものの、東大寺に先行する仏像であり、迫力は十分でした。

東大寺

今回、東大寺は鹿と共に外から眺めただけでした。

信貴山

二日目は聖徳太子ゆかりの信貴山と法隆寺に行きました。

山朝護孫子寺HPから

今から1400余年前、聖徳太子は、物部守屋を討伐せんと河内稲村城へ向かう途中、この山に至りました。太子が戦勝の祈願をするや、天空遥かに毘沙門天王が出現され、必勝の秘法を授かりました。その日は奇しくも寅年、寅日、寅の刻でありました。太子はその御加護で勝利し、自ら天王の御尊像を刻み伽藍を創建、信ずべし貴ぶべき山『信貴山』と名付けました。以来、信貴山の毘沙門天王は寅に縁のある神として信仰されています。

ここのお寺ですが、醍醐天皇の病気のため、命蓮上人が毘沙門天王に病気平癒の祈願をして癒え、天皇から「朝護孫子寺」の勅号を賜ることになったという由来があります。特にフォトジェニックなのが境内に入ってすぐある大きな張り子の寅。

この寅の首、実は電動で動いています。

信貴山の中腹にある境内には聖徳太子の像や大般若祈祷が毎日行なわれている本堂の他、多宝塔や鐘楼堂など東南アジアの寺院のような色鮮やかな建物群が立ち並んでいました。

ここにはもうひとつ是非見たいものがありました。それは日本四大絵巻のひとつ「信貴山縁起絵巻」です。というのも以前、信貴山縁起絵巻に登場する「剣の護法童子」をフクロウのイメージで描いた油絵を描いたことがありました。

薬師如来にフクロウに変身させた護法童子を組み合わせるとは、自分でも無茶なモチーフだと思いますが、それはさておきそのイメージの元である絵巻を是非直接見てみたいと思っていたのです。

信貴山縁起絵巻 剣の護法童子

国宝の絵巻は本堂の隣の霊宝館にありました。国宝なので実物を精緻に再現したレプリカが展示されているのは仕方ないけど、巻物が全部開かれている訳ではないし暗くてよく見えない。そもそもレプリカなので暗くする必要はないし、ビデオ映像などで全体を見せることもできるとは思うのだけど。とにもかくにも念願の絵巻を見れたのは良かった。

最後に信貴山の頂上にある空鉢護法堂まで、つづら折りの山道を汗をかきながら登りました。ここは絵巻の有名なエピソードのひとつ、命蓮上人が飛ぶ鉢を使って強欲な長者を懲らしめるという出来事に由来します。ちなみに逸話との関係は分かりませんが命蓮上人は実在の人物です。

ここからの大和平野の眺めは最高でした。暑い中を登ってきた甲斐があったというものです。

法隆寺

世界遺産法隆寺見学の前に隣の「まほろばステーション」という複合施設のカフェでお昼にすることに。ここの名物だという竜田揚げを頂きました。

法隆寺に来たのは20年ぶりくらいでしょうか。やはり東大寺、法隆寺、薬師寺は奈良においても歴史とスケールの点で別格の趣があります。

内部の写真が撮れないので残念ですが、久しぶりに見た世界最古の木造建造物としての法隆寺伽藍はやはり美しい。

仏像や収蔵品も価値あるものばかりですが、個人的に一番好きなのはその由来が不明の百済観音です。流麗な体躯と素朴な表情の究極のアンバランスが魅力的です。

岩船寺

三日目は午前中に奈良の北、地域的には京都府にある岩船寺と浄瑠璃寺に行きました。

岩船寺は室町時代に再建された三重塔と仏像群が有名です。特に少し高いところから見た塔がとても美しい。

仏像はもちろん写真が撮れないのですが、重要文化財の阿弥陀如来坐像、四天王立像特に普賢菩薩騎象像が素晴らしい。普賢菩薩は白象に乗ってるのですが、それがエキゾチックです。本堂の観覧は自分ひとりだったのですが、住職の方が色々と解説してくれました。

石仏

岩船寺と浄瑠璃寺の間には石仏が点在しその間を歩けるようになっています。今回は車で行った関係上、岩船寺近くの石仏に絞っていくつかを見てきました。暑いし虫は多いしで歩くのは大変だったのですが、不思議に虫に刺されはしなかったです。

浄瑠璃寺

浄瑠璃寺の由来は創建時の御本尊が薬師如来であったことから、その浄土である浄瑠璃世界が寺名の由来だそうです。ここの三重塔は京都から移築されたものですが、古いもので国宝に指定されています。

寺内には湧水をたたえる庭園があります。また本堂には国宝の九体の阿弥陀仏および四天王像が並び壮観です。

浄瑠璃寺の近くには趣のある茶店があり、とろろ定食が美味しかったです。そこで出された精進料理のしじみ(実際は麩)の風味が良かったので買って帰りました。

岩船寺と浄瑠璃寺は是非秋に再訪したいと思いました。

薬師寺

三日目の午後は世界遺産薬師寺を訪れました。前回唐招提寺には行ったのですが、隣の薬師寺には時間切れで行けず、時を改めての訪問です。

このお寺は天武天皇が后の皇后(持統天皇)の病気回復を願って建てられたもので、西塔、東塔、金堂、講堂が立ち並ぶ大伽藍です。ほとんどの建物は後の火災で消失し再建されていますが、国宝の東塔だけは創建以来の建造物です。

今回その大修理が終わり、初層が特別開扉されていました。また塔の上部の水煙のレプリカが実物大で公開されており、笛を吹きながら踊る奏楽天人などのデザインを間近で見ることができました。

西塔の内部にはお釈迦様の生涯を描いた八場面の塑像があります。 これは損傷した残欠から新たに造像されたものですが、意外に物語性があり見ごたえがあるものでした。

講堂の薬師三尊像つまり薬師如来坐像、日光菩薩および月光菩薩立象は、噂に違わない美しい造形でした。薬師如来ファンの僕としては今回やっと見られて良かったです。

薬師寺の北側には玄奘三蔵の遺徳を後世に伝えるための玄奘三蔵院伽藍がありました。平成になって建てられたものですが、内部はほとんど平山郁夫の大唐西域の大壁画を飾るための展示場となっていました。

平山郁夫は現代日本画の巨匠ですが、個人的にはその画風は全く好みではなく、真新しい展示施設が薬師寺の一部として存在することにも正直違和感がありました。しかし薬師寺のように檀家のない大寺院が現代において永続的に運営を続けていくためには、このように人気画家の力を借りるというのなども、案外重要なことなのかもしれません。

土鈴

寺社を訪ねるときはいつも旅の記念を兼ねて、由来の土鈴がないか探します。今回は岩船寺で面白い土鈴を見つけました。

土鈴は3重塔の土台で塔を支える邪鬼を形どったものです。土鈴にしては重く大きいのですがユニークな形と微笑に惹かれ買ってしまいました。

聖徳太子と法隆寺展

帰京後、東博で開催されている「聖徳太子と法隆寺展」を観ました。聖徳太子の誕生から法隆寺創建にまつわる様々な事物、宝物が展示され、大変充実した内容でした。またこれに合わせ「国宝 救世観音・百済観音を8K文化財で鑑賞」というイベントも行われていました。最後に8Kで百済観音をじっくり観ることができ、大満足でした。

ということで聖徳太子を巡る旅は終わりましたが、2歳にして「南無仏」と唱えた、成人すると十人の訴えを聞き分けた、未来のことを予言できた等、数々の伝説はいかに生まれたのか?聖徳太子とは果たして何者だったのか?という究極の謎については今回の旅を通じてもその答えに進展はありませんでした。

古代のスーパースター、聖徳太子については、謎そのものを楽しむのが良いかもしれません。

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