「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか

『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』、この奇妙な題名の本は以前このブログで紹介した「おたくの精神史」の大塚英志と大澤信亮の共著です。

 大塚は「まんが原作者」として、大澤は「評論家」としてクレジットされているのですが、僕が興味があるのはまんが原作者と評論家のふたつの顔を持つ大塚の言説です。

この本の構造もまた複合的で、第1部と第2部でまったく異なったスコープの議論が展開されます。「まんが/アニメからジャパニメーションへ」」と題された第1部では、日本のまんが/アニメの出自に関する考察と歴史的分析が行われます。一方、第2部では、あくまでビジネスとしての日本アニメの分析、「なぜディズニーに勝てないか」が語られます。

面白いのは圧倒的に第1部の方です。

「「ロストワールド」のラストなどにおけるキャラクターの生き死に、例えばミィちゃんというウサギ少年のくつだけ残されると言う喪失感。それらは従来なら文学が扱った問題です。・・・ところが、そういった近代文学が書いてきた問題を、戦後まんがは、キャラクターの身体性と内面性を発見することにより可能にしていくのです。・・・つまり、記号的な非リアリズム的なキャラクターによって、日本の自然主義文学の伝統にあった「私」や身体性を主題化するという、方法と主題に矛盾を抱えた表現として発展するわけです。」

ここで語られるのは、日本のまんが/アニメがディズニーの二次創作として生まれたという事実認識、これまであまり語られることのなかった戦時下の国策アニメの影響、そしてそれらの結果として必然的に生まれた記号的キャラクターの「身体性」の問題、つまりミッキーマウスのように記号的で時間を超越した不死の存在としてのアニメキャラクターが、戦争という主題を通して、成長し、傷つきやがて死にゆく身体を有することになる過程です。

大塚は(クレジットとは異なり)評論としての立場でまんがを語りつつも、その意識は原作者と評論家の間を揺れ動き、単なる評論家では決して伺い見ることができない作家としての内面がにじみ出て来ます。

大塚自身の出自は民俗学であり、日本の民俗学に対する歴史的批判として遠野物語における柳田國男と遠野民話の語り部であった佐々木喜善との関係なども出てくるのですが、僕は大塚英志こそは、現代の佐々木喜善、つまり日本まんが/アニメの生ける語り部であると思います。

第2部はビジネスとしてのおたく市場の脆弱さを批判しているのですが、それでも政策としての政府の介入、税金の投入だけは、滅亡に至る道であり、「頼むからほっておいてほしい」と言っているのは、全く同感です。

ちなみに安倍首相辞任後の後継の座を争うひとりは、おたく市場に造詣が深いことを売りとしているようです。大塚英志は固唾を呑んで総裁選の行方を見守っているのでしょう。

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