岐阜を旅する(岐阜)

4日目

いよいよ最終日。美濃の宿を発って岐阜に向かいます。

地域共通クーポン

高山の2泊で貯まった地域共通クーポンはチェックアウトの日の24時で有効性が消滅するのですが、電子クーポンのため旅の途中に使える店があまりなく、美濃の宿で使うしかなくなりました。結局宿に置いてあった工芸作家によるカップ&ソーサーとトレーを買いました。

お店も作家も売上になるし、自分たちもクーポン使えたという満足感があったので、皆ハッピーではあります。

美濃市内

季節外れの台風の影響で朝から雨まじりの天候となったので、うだつのあがるという美濃の町家散策は残念ながら中止。最後の訪問地岐阜市に向かうことにしました。

岐阜城

約1時間ほどで岐阜市に到着。ここは斎藤道三や織田信長の活躍した岐阜城が観光のメインです。

岐阜城は金華山の頂上付近にあり、ロープウエイで上がります。金華山ロープウエイの乗り場付近は大河ドラマ「麒麟が来る」一色です。

ロープウエイ乗り場手前にある矢を射る信長の像。

乗り場には斎藤道三を演じたもっくんの颯爽とした姿がありました。

ロープウエイはかなり急角度で上がっていきます。よくこんなところに城を造ったものです。

ロープウエイ頂上駅から少し歩くと岐阜城への最後の階段があります。

岐阜城、近景。以下は市のHPからの抜粋:

岐阜城は、かつて稲葉山城と称し、戦国時代には、斎藤道三公の居城でもあったところです。特に岐阜城の名を天下に示したのは、永禄10年(1567年)8月、不世出の英傑織田信長公がこの城を攻略し、この地方一帯を平定するとともに、地名も「井の口」を「岐阜」と改称し、天下統一の本拠地としてからでした。 
 現在の城は昭和31年7月、岐阜城再建期成同盟によって復興されたものです。
岐阜城は現在築城されている城郭のうちでは、有数の高さ(標高329メートル)にあり、最上階からは、眼下に鵜飼で有名な清流長良川が市内を貫流し、東には恵那山、木曽御岳山が雄大な姿を見せ、北には乗鞍、日本アルプスが連なっています・・・

織田信長

城の内部はヒーロー織田信長の物語を中心とした博物館といったところです。

城付近のジオラマ。難攻不落の山城だったことが分かります。

様々な装いの信長が現れます。これは一般のイメージに近いですね。

鉄砲を持ったキンキラキンの信長。これもイメージに割と近いかな。

これは公家のような静かな格好。近年の研究により信長像が変わってきてますが、ほんとはこっちが近かったのかもしれません。

遠眼鏡。信長はこれで眼下の岐阜を眺めたのでしょうか?

城からの眺め。霧雨で市街は霞んでいました。

ロープウエイの出口でも高橋英樹版?の信長が見送ってくれました。信長は好きですが、もうちょっと斎藤道三関連の展示も欲しかったですね。

岐阜大仏

ロープウエイ乗り場からほど近い場所に岐阜大仏が鎮座していました。以下市のHPからの抜粋:

日本三大仏の一つに数えられるこの大仏は乾漆仏としては日本一の大きさを誇ります。
天保3年4月(1832年)に、実に38年の歳月を費やして完成しました。
堂の高さ25.15m、廻り19.39m、仏像は坐像で、高さ13.7m、耳の長さ2.1m、鼻の高さ0.4m。大イチョウを直柱として、骨格は木材で組み外部は良質の竹材と粘土で造られ、その上を一切経で糊張りし漆を塗り金箔を置いたものです。胎内には薬師如来がまつられています。

大仏は想像よりはるかに大きかったです。奈良の大仏より一回り小さいぐらいのスケールです。

静かに下を向いて微笑んでおり、癒やしの大仏といったイメージでしょうか。

五百羅漢が大仏を守るようにとり囲んでいました。

伊奈波神社

金華山からほど近く古い歴史のある伊奈波神社を最後に尋ねることにしました。以下Wikiからの抜粋:

社伝によれば、景行天皇14年、武内宿禰が稲葉山北西の椿原に五十瓊敷入彦命を祀ったのに始まるとされる。壬申の乱の際に天武天皇が当社に戦勝を祈願したという。

天文8年(1539年)、斎藤道三が稲葉山に稲葉山城を築城するにあたり、現在地に遷座した。この際、その地にあった物部十千根命を祀る物部神社を合祀し、稲葉山城の鎮守とした。

楓稲荷神社。御祭神は宇迦之御魂神です。

神橋。実用性を敢えてなくした象徴的な橋が神社の楼門の前にあります。

顔のイラストの入った絵馬かけ。

神馬。

お参りした記念を兼ね、獅子形のおみくじを買いました。ちなみに中吉でした。

帰京

岐阜から名古屋に下り、新幹線で帰京しました。多くの古い町並み、史跡をレンタカーにより巡った岐阜縦断の旅、面白かったです。

岐阜を縦断する場合は山岳部を踏破する長いドライブになるので、観光地間の移動には一般道より高速道路がおすすめですね。