古い古墳と神社を歩く

歴史

高野山の帰りに奈良に寄り、大和朝廷最古期の古墳と神社を訪れることにしました。桜井市から北の方向に「山の辺の道」という古墳時代から奈良時代の観光ポイントをつなぐ道が伸びており、その道を中心に歩こうと思ったのですが、天気が悪いのでレンタカーを借りることにしました。駐車場が問題ですが、大きな古墳や神社のものが利用できました。

最初に訪れたのが大神(おおみわ)神社です。この神社の御神体は三輪山で、大木や巨石などを信仰した日本最古の神社形式が残っています。

境内および三輪山周辺には沢山の摂社があります。そのうちのいくつかも訪ねてみることにしました。

これが拝殿。

背後に通常は御神体のある本殿がありません。その代わり御神体である三輪山への道が開けています。

せっかくだからおみくじを買ってみましたが「凶」でした。僕の場合よくあることです。

境内近くに展望台があり、大和三山が見えます。

ちょっと木々に隠れてますが、右から耳成山、畝傍山、天香久山です。

こちらは知恵の神様である久延毘古命の神社。最近物忘れが多くなったので、お賽銭を上げてしっかりお参りしてきました。知恵のシンボルであるフクロウがかわいい。

こちらは大直禰子(おおたたねこ)神社。第十代崇神天皇の時に疫病がはびこったのが大物主のたたりと分かり、その子孫である大直禰子を連れてきて神主にしたらたたりが収まったという。記紀にあるこの謎の出来事は、古代の天皇家の系列の盛衰を反映するものと考えられています。

お昼はこのあたりの名物である三輪素麺を老舗の山本というお店で頂きました。とても美味しかったのでお土産にしました。

お昼の後はよく卑弥呼の墓といわれる箸墓古墳を見学。ここは当初は出土土器からせいぜい4世紀の中期以降の墓と考えられていたのですが、最近は卑弥呼の時代に合う3世紀後半という説が有力になりました。土器編年は基本的に相対編年なので、年代は自説に都合の良いようになんとでもなるのが、考古学に内在する大きな問題です。個人的にここが卑弥呼の墓である確率はほとんどゼロだと思いますが、実際に現地に行って見ることは重要です。

箸墓古墳は全長282mと思いの外巨大で、典型的な前方後円墳の形状でした。とても出現期の前方後円墳とは思えず、後で訪れる纏向の古墳群と同時代かその後ではないでしょうか。

箸墓古墳

古墳は一周できます。

箸墓古墳周回路

当時の大王に関連する墓ということで宮内庁が管理しており、例によって立ち入り不可です。正直宮内庁は専門の知識がないのだから、余計な事に口を出さず現代の皇室だけをしっかり管理してほしいです。

反対側に回ると蓮が咲いていました。

古代の風景もこのように優雅だったのでしょうか?

箸墓から少し離れたところにあるのが纏向の古墳群で、かなり広い地域の中に大型古墳が点在しています。

これが辻地区の古墳群でよく整備されており、柱の穴などがきれいに残っています。

辻地区からすこし歩くと全長100m近い石塚古墳があります。初期の前方後円墳だと考えられています。例によって3世紀前半だと書かれていますが、個人的には4世紀前半のものかと思います。

こちらは石塚古墳と同時代と考えられる全長115mの前方後円墳の勝山古墳。

勝山古墳からさらに歩くと矢塚古墳と東田大塚古墳がありました。いずれも田んぼの中にあり近づくことができませんでした。

矢塚古墳

東田大塚古墳

纏向古墳群は思いの外広く、蚊に刺されながら歩いて見るだけで2時間ほどかかりました。

次に訪れた黒塚古墳は33面の三角縁神獣鏡が出土した全長130mの名高い古墳で、周濠の隣に展示館が併設されています。

残念ながら展示館は休みでした。もっともここにはレプリカが展示されているにすぎません。僕自身は2000年に高松市に出張中、歴史博物館で開催中の大古墳展にて本物の三角縁神獣鏡をほとんどみています。ただ、展示館には竪穴式の石室が再現されているらしいので、それは見たかったです。

古墳は公園のように整備されており、周濠の内側を半周することが出来ました。

黒塚古墳見学後、近くの行燈山古墳(崇神天皇陵)を見学しました。

4世紀前半の建造と見られている全長242メートルの巨大な前方後円墳はきれいに周濠が残っています。記紀によれば崇神天皇は第10代の天皇にあたり、ここが崇神天皇陵だとすると実際は4世紀後半の建造ではないでしょうか。

時間もなくなってきたので、景行天皇陵はスキップして最後の目的地石上神宮に向かいました。

石上神宮は国宝七支刀がある神宮です。ここも大神神社と同様、古来は本殿がなく武具を祭神として祀っていた最も古い神社のひとつです。記紀においても神武天皇の東征の条から記述があります。

境内には鶏が飼われており、天の岩戸神話との関連が書いてありました。

古代屈指の有力神社にしては質素な手水舎です。

楼門をくぐると拝殿があります。かつて背後には禁足地があり本殿がなかったのですが、現在はその禁足地から発掘された御神体が収められ、本殿となっています。

古代においては物部氏の総氏神としてまた武具の守護神として権勢を誇った石上神宮も、物部氏の没落とともにその栄華が失われました。今は時に鶏の鳴き声だけが聞こえる静かな神社となっています。

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