先日池袋で久しぶりのライブ演奏を楽しんだのだが、音楽に限らず、人々のライフスタイルがライブ志向になってきていることを感じる。例えばツイッターがはやっているが、これはリアルタイムにメッセージを交換する、とてもライブなコミュニケーション手段である。
ライブな傾向は映像の世界にも及んでいることが指摘されている。例えば我が家はハヤブサの地球への帰還を、インターネット放送であるUSTREAMでリアルタイムで視聴した。放送を行っていたのは和歌山大学の人たちだった。つまりUSTREAMを用いれば、誰でもインターネットのインフラを使って放送を行うことができるのだ。
デジタル時代はコピーのコストが限りなくゼロになる恐ろしい時代だ。アーティストには、これからふたつのオプションがあると思う。ひとつは、自らの作品をコピーからプロテクトし続ける側に立つこと。そしてもうひとつは、作品をコピーフリーあるいは安価に公開し、その流通で得られた名声を利用してライブで勝負することだ。
これからの時代、前者で行ける人は非常に少ないと思う。アーティストにとって、ライブこそが生き残りの道ではないだろうか。マーシャル・マクルーハンはテクノロジーやメディアが身体を拡張するというメディア論を展開し、TVをクールなメディアと呼び、「メディアはメッセージである」という有名な言葉を残した。
TVの創世記には番組は全てがライブだったが、今インターネットというテクノロジーを経て再びライブの時代が来ようとしている。マクルーハンが生きていれば「ライブはメッセージである」と言い直すかも知れない。
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