はじめての言語ゲーム

橋爪大三郎の「はじめての言語ゲーム」講談社現代新書

世の中には難しい思想や論理を、まるで魔法のように簡単に説明してくれる人達がいます。西洋思想史ではこのブログお馴染みの内田樹がいますし、日本美術史には橋本治、現代美術には赤瀬川原平という僕の尊敬する魔法使い達が控えています。

橋本大三郎はこの本で、20世紀最大の哲学者と言われるウイットゲンシュタインを解説してくれます。橋本の特徴はといえば、難しい言葉を排した自然な語りとエピソードが面白く飽きさせないことでしょうか。この本の主人公ウイットゲンシュタインについて、同じ時期に同じ高校に通ったらしいヒトラーと対比する形で話を進展させていく手並みは鮮やかです。

ウイットゲンシュタインはそれまでの哲学の誤謬を明らかにした「論理哲学論考」が有名です。時に聖書と比較される散文的な本で、決して難しい文章ではないですが、その理解には格段に深い思索を必要とします。僕の本棚にもなぜか1冊ありますが、当然のように長い眠りについてます。「論考」はウイットゲンシュタインの前期を代表する著作なのですが、橋爪が重点的に解説しようとしているのは、ウイットゲンシュタインが後期に到達した「言語ゲーム」という考えです。

橋爪は世界を記述するモデルとしての「言語ゲーム」を解説していくのですが、ここではポストモダンとの比較で話を進めます。橋爪が主張するのは、ポストモダンが相対主義にしか至ることのできない考えであり、問題を解決するモデルとしては失格である。これに対し言語ゲームが異なった価値観、文化を有する人たちが共存するためのモデルとなりうる普遍的な考えである、ということです。しかしこれはあまりに単純化した議論であり、例えばポストモダンの源流と言える構造主義に対して行われた批判から一歩も出てません。それに言語ゲームが例えば現代の脳科学的認識論とどのような関係にあるのか、具体的にどんな問題解決のスキームを提供できるのか、というような肝心なことが何にも書かれていない。

不満を持ちながら最後に橋爪の著作を見たら「はじめての構造主義」という本を書いていることが分りました。単に自分の著作と被らないように話を進めていたとしか思えませんし、ちょっと話を簡単にしすぎると思います。

橋爪大三郎は簡単な言葉で面白く語る才能には恵まれているが、内田樹や橋本治のように偉大な思想や概念に我々をワープさせてくれる域には達していないと感じました。

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