英国人写真家の見た明治日本

日常の写真

ずっと紹介しようと思ってた本のことを今回書きます。イザベラ・バードやラフカディオ・ハーンと同様、明治の日本を愛し旅したハーバート・G・ポンディングの「英国人写真家の見た明治日本」です。

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ポンディングはスコット大佐の南極探検に同行した米国の写真家ですが、明治初期の日本を何度も旅行し、写真と旅行記を残しています。

ポンディングは日本の美しいところはほとんど踏破したのではないかと思うくらい、色々なところを尋ね、そのときの体験を写真と文章にしています。京都、奈良、鎌倉、日光などの定番はもとより、保津川、阿蘇、浅間山、伊豆の江浦湾、精進湖などなど、実に様々なところを訪れ、好奇心に満ちた目で、日本を楽しんで、その美しさに言及しています。

彼はほとんど熱狂的な日本びいきともいえる人なのですが、彼が日本の美の本質をよく理解していることも事実です。例えば、京都に行っても単に神社・仏閣を訪れるだけでなく、青銅、刺繍、象嵌、七宝など、日本の伝統工芸の現場に立ち入って、それらの工芸品が名工達によって製作される様を書き残しています。

例えば、並河という七宝の名工の工房を訪れた時には、職人たちの製作の様子、ちりひとつない工房の内部、自然に囲まれた工房の環境を詳細に記述しています。そして、彼らの作品が完璧な芸術に達している理由を、彼らの自然を愛する心によるものではないかと書いています。

また、彼がほとんど崇拝に近い思いを抱いていたのは、日本の女性の資質、その寛容、優しさ、慈悲、慎み深さについてでした。おそらく、現代の日本人が当時の日本を旅すれば、同じように熱狂的な「日本」のファンとなるだろうと思います。

元々が報道写真家であるポンディングの残した日本の写真は、むしろどこか浮世絵のようです。日本では浮世絵の果たした機能を、写真が代置するようになったのですから、それはある意味当然のことです。(しばしば指摘されることですが、浮世絵の衰退が起こったのは、西洋画のせいではなく、写真の拡散によるものです。)現在の写真が浮世絵と似ても似つかないのは、対象を捉える側の問題ではなく、人と人、そして人と自然との密接な関係が失われたからに他ならないのです。

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