良い評論というものは、だいたい出だしの部分で分ります。ラフカディオ・ハーンあるいは小泉八雲に関する宇野邦一の「ハーンと八雲」(角川春樹事務所)の書き出しも、それと感じさせる濃密さと繊細さを持っていました。
この人は松江の出身で、ハーンが暮らした家の前を通って、通学していたとのこと。でもこの人のハーン論は松江という土地に依拠した部分はむしろ少なく、日本以前のハーンのジャーナリスト、文学者そして思想家としての歩みを丹念にたどっています。
ハーンは日本に来る前に米国で新聞記者として様々な執筆活動を行っていたのですが、その時からスペンサー的進化論への傾倒、混血へのエキゾティズム、アニミスティックな神秘主義的傾向等が表れており、それが彼の生涯を通じての一貫した思想的土台であったことが明らかにされます。
宇野は日本に魔法をかけられた日本礼讃者としてのハーンという紋切り型の定義から距離を置き、ハーンの思想家的側面を掘り下げ、イギリス、フランスの同時代的な文学の影響の元にあった文学者、そして神秘主義者としての側面を多面的に掘り下げます。
この本にはハーンの描いた絵が出てくるのですが、それがウィリアム・ブレイク風の神秘主義と孤独の香りがするもので、古きよき日本への回帰と日本の進歩を希求する立場との間で揺れ動く繊細な精神が表れたようで中々興味深かったです。
連休中にのんびり読んだのですが、総合的なハーン論として、とてもよくまとまった本でした。
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