Spacex宇宙船の打ち上げ

技術

今日は朝4時に起きてspecexの有人宇宙船発射を、WEBでリアルタイムに観ました。ブルーインパルスの飛行を見て、先日はspacexの発射が悪天候で延期になったという報道を受けて、にわかに空への関心が高まり、spacexの再発射を見たくなったのです。

space x

少し昔話をすると1980年代、僕はKDD(国際電信電話会社)で新しい国際海底ケーブルの開発に従事していました。当時、世界を圧倒的にリードしていたのは米国の通信会社AT&Tで、研究、開発部門としてベル研究所を抱え、海底ケーブルの製造部門まで有していました。最終的にこの開発計画は1989年にAT&TとKDDおよび日本の製造会社が、TPC-3という光海底ケーブルで太平洋をつなぐことに結実します。困難を極めた当時の開発エピソードには限りがありませんが、例えば光ファイバーを用いた海底ケーブルの海中分岐というKDDのアイデアは、当初AT&Tから実現不可と言われたものでした。最終的にTPC-3は日本とグアムとハワイを海中分岐で繋ぎ、さらにハワイと米本土を繋ぎます

なぜ宇宙船の話に海底ケーブルが出てくるの?という疑問があるでしょうが、それはspacexの打ち上げが、あるエピソードを思い出させたからです。当時僕はKDD側の開発チームの一員としてAT&TとKDDのシステムを相互接続するために何度かNJ州のホルムデルにあるベル研究所を訪れ、打ち合わせや共同実験を行っていました。そして1986年2月、実験のための何度目かの訪問の最中にベル研の研究員から深刻な表情でチャレンジャーの事故のことをどう思うかと聞かれたのです。

1986年1月28日に起こったスペースシャトル、チャレンジャーの事故は7名の乗組員が死亡した悲劇的な事件だとは認識していましたが、正直個人的な関心は薄かったし、どう答えたのかも覚えていません。でもその時の研究員の真剣な表情は今でも心に残っています。それはスペースプログラムが米国民にとって人種や宗教を超え、米国の科学とフロンティア精神を象徴するアイコンであることを表していました。NASAもベル研究所(AT&T分割前の話です)も当時の米国の科学技術をリードする存在だったこともあり、他人事ではなかったのだと思います。

昨日はそんな昔の記憶と共に現代の最新技術の結集であるロケットの発射を見ました。朝4時に起きてネットを開いたら「SpaceXの試作機が地上でのエンジンテスト中に爆発」という見出しが飛び込んできてギョッとしたのですが、それは実はその8時間前に起きたspacexの別の機体の話でした。

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実際には美しい映像がリアルタイムで届けられ、NASAと民間企業であるspacexが初めて手を組み有人飛行に挑んだ挑戦は見事な成功でした。

僕にとって挑戦という言葉は、海底ケーブルの開発以来ずっと米国の科学技術への挑戦を意味しています。現在の日本が果たして挑戦権を得ているのだろうか、と思いながらまた眠りにつきました。

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