海は誰のものか

読書

海は誰のものか。この本質的な問いを投げかける著者小松正之は、ニューズウイーク誌「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれた水産業と食料資源の専門家だ。この本を読んであぜんとするのは日本の漁業の行き詰まりだ。漁業の問題は農業問題の引き写しのように見えるが、それ以上に深刻だ。典型的な問題が、日本の漁業の未来の可能性をことごとく否定してきた漁協の存在である。

高齢化、重労働のイメージと共に隘路に追い込まれた日本の漁業だが、世界の漁業は事情が異なる。例えばノルウエーの漁船はまるでホテルのように快適で、高い生産性と高賃金を誇り、若者に人気であることをご存知だろうか。ノルウエーではなんと、船上で電子取引、オークションさえ可能なのだ。

一方、日本では先進国で唯一漁獲量を総量規制する制度が導入されておらず、多くの海洋資源が枯渇の危機にある、更に、海産物を加工、保存するインフラ施設の整備は、世界的に見ても立ち遅れている。そして311の震災が壊滅的な被害をもたらした。

多分、日本の漁業を再生する唯一の悲しい機会が、311だっただろう。だが、今になっても上記の問題は何一つ手が付けられず、漁協という利権が瓦礫のように行く手を阻んでいる。

改革を推し進めるための最大の障壁のひとつが、漁業権の問題、つまり海は誰のものかということだ。漁協は海が所有物であることを自明と考えており、それが彼らの権力基盤となっているのだが、それはもちろん正しくない。海は日本国民のものである。僕の愛する山が誰のものでもないことと同じことだ。

ところで、日本はほんとうにリーダーを選ぶことが下手だ。

復興構想会議などという時間を浪費した文学会議を作るかわりに、著者が復興の責任者として陣頭指揮をとっていたら、おそらく今ごろは日本の漁業関係者は未来に対する確かなビジョンを共有できていただろう。

ところで、海岸線の景観を台無しにするあの消波ブロックだが、海岸線の保全にむしろ逆効果だということが最近わかってきたらしい。僕が海よりも山を好むのは、ひとつには無残にコンクリートで固められた海岸線を見るに忍びないためだということを、最後に付記しておきたい。

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