京都市がセシウムと市民からのクレームを理由に、被災地から送られた薪を燃やすことを拒否した。
これについては藤沢数希氏が的確な批判をしている。
池田信夫氏が既に指摘しているように、放射能はそれがいかに微量であっても、人体に影響ないレベルであっても「ケガレ」として忌避される対象となった。そしてそのような事態を生じさせたのは、世の中に跋扈する無責任な「脱原発批評家」達であり、彼らの無慈悲かつ非科学的な言説が、絶対的な風評被害構造としてのケガレを生んだのである。
僕は当面、このような冷酷な決定を行う京都に観光には行かない。もちろん京都市は痛くも痒くもないのだが、これは個人の信念の問題なのである。
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