二人羽織を脱いだ民主党

前原外務大臣が辞任を発表したようだ。ついに民主党の崩壊が始まった、というより日本の政治の崩壊が始まったというべきだろう。

もともと民主党の政策は妥当なものでも実現可能なものでもではなかったし、それを柔軟に軌道修正するような能力があった訳でもない。今回の辞任劇も、結局は自らが撒いた種=小沢派排斥に利用した過剰な金銭的コンプライアンス、が自分に戻ってきただけのことだ。

思えば民主党の歩んできた道とは、子ども手当といい、政治主導といい、できるあてもない政策を自らに課して、自縄自縛に陥ることの繰り返しだった。

これも元をたどれば、自民党と民主党が二人羽織のように、互いを利用してきた一心同体の存在だったことにある。民主党は自民党の利権政治を攻撃することでかろうじて存在できた自民党の影であり、自民党を影で支える機能集団だった。だから民主党の本質は批判そのものであり、その政策の実現可能性が低ければ低いほど(表面的な)批判の価値が増大した。問題は詐欺師が自らの言葉に酔いしれるように、批判としての機能しかない政策が実現可能なものだと民主党、ひいては国民が信じこんでしまったことにある。

今我々が目にしているのは、顔だけで手がない一人羽織だ。それは批判したり、悲鳴をあげたりすることはできるが、何かを動かすことはできない。だがその奇妙な存在は、自ら動くことをせず批判と傍観に務めた我々の姿の引き写しに過ぎない、ということは忘れてはならないだろう。

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