来るべき世界

日常の写真

昔のSF映画を見るのは楽しい。うれしいことに赤レンガ図書館では古い映画のDVDも貸してくれる。今回借りたのはH.G.ウェルズの「Things to Come(来るべき世界)」を1943年に映画化したものだ。同じくSF映画の古典であるメトロポリスのような物語としての魅力はないが、この映画の面白さはなんといっても一杯に詰め込まれた未来のイメージだ。

第2次世界大戦の3年前という時代を反映して、ロケット、爆撃機、戦車など、様々な兵器が登場するが、それらの多くはその後のSF映画に影響を与えた。例えば、地下をドリルで掘り進むメカは明らかに後年、東宝の海底軍艦として蘇った。高速のモノレールが行き交い高層ビルが立ち並ぶ未来の都市のイメージはとても新鮮で、こちらは手塚治虫のメトロポリスを思わせるし、現代の都市に近い。

それではこの映画で描かれた未来の脅威は何かと言うと、それは毒ガスだ。第1次世界大戦において、毒ガスは人々の恐怖の対象だった。それを反映したこの映画における毒ガスへの恐怖の感覚は、現代の人が放射能に感じるそれとほとんど同じである。

この映画の最後は、科学の進化に恐怖した民衆が月探検のロケットを壊そうとするのだが、毒ガスの時代を生き抜いた伝説的な指導者がロケットを守るという場面で終わる。

現代の恐怖のシンボルとなった原発を今後どのようにするのかは我々に課された課題だ。我々にはいくつかのオプションがある。そしてその決断に重要なのは、何かを絶対的に賞賛することでも、絶対的に恐怖することでもない。ただそれらのオプションがもたらすだろうメリットとデメリットを冷静な基準で比較するだけだ。もちろんそれこそが難しいことなのだが。

菅首相の浜岡原発停止の「要請」、放射能の恐怖を最大限に利用したポピュリズムの極みとも言えるこの施策の支持率は、60%を大きく超えた。民主的プロセスを完全に無視したこのような行動が支持される反動的な状況では、我々が最適な未来を選びとるのは難しいと言わざるをえない。

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