夏の終わり

夏が終わってしまった。とても残念なことに。

おそらく今年の夏の暑さを悪夢のように感じている人も多いだろうが、僕は暑いのは比較的大丈夫なのだ。反面、寒いのは苦手だ。だから、大好きな夏が終わるのは人一倍つらい。今年の夏であっても。

夏の終わりと共に民主党の総裁選が決着した。言うべき言葉もないほど国民不在の戦いだったが、何より政策の中身がなかった。TVのキャスターが「どちらがより落第か競うような選挙だ」と言っていたが、どちらが生き残っても、坂道を転び落ちつつある日本を立てなおすことは難しいだろう。民主党政権そのものが、イデオロギーの亡霊のような現実を直視することができない人々の集まりだからだ。

その意味から小沢一郎氏の剛腕に希望を見い出した人々も多かったようだが、その力学も所詮政党の中でのお話だ。彼が日本古来の官僚主義をぶち壊せるか、といえばそれは幻想に過ぎないと思う。なぜなら官僚システムを変革するためには、単に政策の方向性を規定するだけでは全く不十分で、法案や政令を評価、修正する事務能力が不可欠だからだ。官僚に匹敵する情報処理能力なしで、官僚の作ったシステムを変えられる、と思うのはそれこそ幻想と言わざるを得ない。

秋は静かに考えることができる季節だ。夏の戦いを生き延びた菅首相も、ぜひ日本の置かれた現実についてじっくり考えて欲しい。管首相は社会主義的背景を持つにもかかわらず、状況主義者の側面がある。イデオロギー的な隘路に立ち止まるより、日和見と言われようがコロコロ変わると言われようが、現実に対応して欲しい。僕が菅首相に見出す希望は唯一、その状況主義的資質なのだ。

なんと悲しい手がかりだろうか。

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