向一陽の「ヒマラヤ世界」 中公新書
死ぬまでに一度ヒマラヤをトレッキングしてみたいと思っていたので、図書館の新書コーナーで見つけて即借りてしまった。ヒマラヤのトレッキングといったってエベレストに登るわけではなく(もちろん登りたくても無理だが)、エベレストの麓をトレッキングするのである。といっても約6,000m位の高地のトレイルで、もちろん富士山よりはるかに高い。ここから8,000mを越えるエベレストとかローツェを拝むことができるツアーがあるのだ。
この本は飛行機でカトマンズに降り立つ前、ヒマラヤの山々を見る場面から始まる。我々が通常写真で眼にする風景は平地から仰ぎ見たものだが、飛行機から見ると横から見えるので、実際には鋭くとがっていると書いてある。そのような記述が、少しばかり残された僕の冒険心をくすぐる。トレッキングを続ける中で、同行するシェルパ族の生活とか崩れ行く氷河の様子が生き生きと描写される。
この本は新書なので写真は最小限である。でもそれが返って想像力を刺激する。例えば標高差3,000m、世界最大の壁ローツェ南壁、どんなに素晴らしい写真家でもその迫力を伝えることは到底できないのだ。
ヒマラヤのトレッキングには心躍るのだが、向一陽の目的は実はヒマラヤから流れ出る川を辿りつつ、温暖化に伴う氷河湖の決壊や森林破壊の実態をルポルタージュすることだ。向はヒマラヤからヒンドゥスタン平野を経由し、インドさらにはバングラデシュへと旅を続ける。そこで向が眼にするものは森林伐採、地下水の過剰汲み上げ、巨大ダム建設の結果としてもたらされる下流域の汚染と緑のない不毛の大地だ。
これを発展途上国の話だと勘違いしては困る。日本には林野庁と国土交通省の両方が「整備」したダムが、実は30万から40万くらいある。そしてその多くが既に土砂に埋まってしまっているのだ。八ッ場ダム建設を推進する日本の知事達は一度、インドやバングラデシュに行き、ダム建設が結果として何をもたらすかを見てきたほうが良い。
向一陽はこの本の前半では、静かな語り口ながらも読者の好奇心とか冒険心を刺激してくれる。でも後半は、同じ冷静さで環境破壊がもたらす現実を真正面から糾弾するのである。人間の営みと環境について色々と考えさせてくれる良い本だった。
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