橋本治と内田樹

たとえば「古事記」の一番最初が好きなんです。「古事記」の最初って、イザナギとイザナミが神を生む。その前に神が出現するんだけれども、あの神の名前が全部面白い・・・橋本治

図書館に頼んであった「橋本治と内田樹」というこの本、やっと僕の順番が回ってきました。僕にとってはゴジラとキングコングが対談するような感じと言えば良いでしょうか(例えが古いね)。とにかく規格外の二人なのです。内田樹という人は西洋思想史が専門で、前から著作を良く読んでいたのですが、難しい思想とか観念が実はこうなんだ、と僕なんかでも分るように一刀両断にしてしまう。実際に古武道なんかもやる快刀乱麻の人です。ところが橋本治と言う人はこの内田樹から見ても、とんでもなく規格外の人なのです。この対談でも、どうしてそう考えるのか理解不能、という声が内田樹から何度も挙がる。

内田樹は傑出した人物だとは言え、思想、抽象の世界の住人だから、一応僕なんかでも見通しのつくところに居ます。人を我々のような普通の人とそうでない人に分けたら、一応我々のサイドにいる。でも橋本治は、多分そうではない。彼はそもそも抽象を拒否したところに、画然と存在するのです。

例えば、橋本の最初の言葉ですが、古事記の最初に出てくる神が面白いという人がいるなんて、ちょっと信じられないです。だって古事記に出てくる神々でその後も活躍するのはほんの一部です。ほとんどの神々は名前だけ、その後二度と出てこない神ばかりなのです。

橋本はその名前が面白いのだという。なぜかというと、川とか海とか人々が必要とする全ての細部に宿っているから。そしてその多神教的な実際性のようなものが見えるから感動的だと。つまり橋本治は普通の人と、世界を認識する仕方が全く違うのです。そうとしか思えない。

この対談、僕は異次元の怪物の対決を堪能しました。でも、面白いという人と、そうでない人が極端に分かれるかもしれませんね。

読書

Posted by artjapan