古代遺跡をめぐる18の旅

関裕二という人は在野の歴史研究者で、従来の考古学に過剰に依拠した歴史観から距離を置き、独自の文献学的解釈を与えてきました。特に聖徳太子、物部氏、藤原氏等に対して提示した解釈は、いずれも推理の部分が多いという難点があるものの、論理としては一貫しており、学会で取り上げられるたぐいの説ではないですが、僕は結構好きです。

今回のこの本は古代遺跡をどうしたら面白く歩けるかと観点から、関裕二が書き下ろしたものです。遺跡の解釈論ももちろんありますが、眺めが良いとか、美味しい食べ物にありつけるとか、そんなトピックが多いのでとても楽しい本でした。

実は一昨年だったか、安本美典先生の「邪馬台国の会」で、安本先生と関氏の対談を見てます。安本先生のアプローチは、文献学的分析から最も簡潔な仮説を論理的に求めようとするものです。一方、関氏のアプローチは、文献に残されていない、あるいは故意に消された物語を推理で補おうとするものです。ですから、邪馬台国では違った立場を取るこの二人は、方法論的に相補的な関係にあると言えるかも知れません。

ちなみに僕は邪馬台国に関しては安本派で、関氏の邪馬台国解釈には、残念ながら賛成できません。というのも、関氏は現在の考古学の(方法論的にかなり問題がある)常識で解釈された纒向遺跡の年代に基づいているからです。僕は纒向遺跡が卑弥呼の時代に重なるほど古いとは思っていないのです。

そういえば土曜日も、纒向遺跡の新しい発掘状況(柵の発見とか遺跡が整然と並んでいたこと)を、邪馬台国と結びつけた報道が行われました。例によって邪馬台国とほとんど関係のない発掘成果を、無理やり邪馬台国に結び付けています。柵なんて、邪馬台国より古い吉野ヶ里遺跡からも発掘されている訳ですから、それが纒向で発見されたからといって邪馬台国がそこにあったという論理は、全くなりたたない。特に問題なのは、該当の遺跡を3世紀前半と言い切っていることです。毎度のことですが、年代を特定できる新しい事物の発見があった訳ではなく、単にそうだと言っているだけです。(纒向の年代を推定しているのは、主に庄内式土器の相対編年によりますが、これは絶対的な尺度ではありません)

この本にももちろん纒向遺跡のことが出てきます。纒向は邪馬台国以降で最も重要な遺跡のひとつなので、邪馬台国論争とは関係なく、一度は行ってみたいと思っています。

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