ウズメとサルタヒコの神話学

前回読んだ荒俣弘の「奇想の20世紀」も、今回読んだ鎌田東二の「ウズメとサルタヒコの神話学」(大和書房)もハードカバーなので、揺れる通勤電車で読んでいると、段々手が疲れてきます。それなので、時々本をかばんに戻して、ipodで最近のpodcastなどを聞いてから、また本に戻るのです。

鎌田東二という人は神道研究をベースにした宗教学者らしいのですが、行動をもって研究するタイプの人です。今回は記紀に登場する神のひとりであるサルタヒコについて文献学的な分析はもとより、サルタヒコにまつわる場所を尋ねて、伊勢市の猿田彦神社、四国の佐多岬、霊山寺、沖縄の西表島、石垣島、宮崎の青島、高千穂、出雲、果ては韓国の承徳まで足を運びます。

サルタヒコは記紀の中では天孫降臨の先導役をした神として描かれていますが、アマテラスに代表される渡来系の神ではなく、国つ神つまり日本古来の神と考えられています。記紀の中で国つ神としてはなんといっても大国主命が、圧倒的な存在感があるのですが、それに比べてサルタヒコはあまり出番がありません。しかし大国主命でさえ大神の称号が与えられていないのに、サルタヒコには大神の称号が与えられており、全国にはサルタヒコを祀る神社が多く存在するのです。

鎌田はこの本でサルタヒコという神の素性の謎を解くというより、この土着の神の足跡、といっても神話の世界の話ですが、をたどって、日本の古来のアミニズム的宗教観とその場所とのかかわりを考察します。例えばサルタヒコはアマテラスの岩戸隠れの神話にて岩戸の前で胸と局部を出して踊りをおどったアメノウズメの夫となるのですが、このような憑依による変身が舞踏の起源であるとの認識から、舞踏、変身と場所に関する考察を様々に展開していきます。

でもこの本で面白いのは、そのような考察ではなく、鎌田の行動そのものです。彼は神主でもあるようで、サルタヒコに関連する神社でほら貝を吹いたり、舞踏家にダンスを踊ってもらったり、アメリカ、アラスカやフィリピンのネイティブと歌を唄ったり、挙句の果てはあの「加賀の潜戸」で海に潜ったり、自身を霊的な変身者と成すようなアバンギャルドな行動を続けていきます。

僕は日本人がほとんど失いつつある聖なる場所の感覚を取り戻そうとするような、鎌田の行為に拍手を送るものです。僕自身はそのようなアクションに参加することはないですが、たまに登る山の上で自然と一体となった感覚に身を委ねる時、古来からの根源的な宗教観に通じる何か、鎌田言うところの「Something Great」が存在することを確かに感じています。

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