等々力渓谷沿いの古墳を歩く

歴史
ワンちゃんもお参り

明けましておめでとうございます。といっても僕の場合、正月も、本を読んだり、映画を見たり、古墳を歩いたりと、いつもと変わらない日々を過ごしてます。先日大田区の田園調布古墳群を歩いたのですが、実はそこから更に西の世田谷区の等々力、野毛エリアの多摩川沿いにも多くの古墳が残っています。今回は、等々力から田園調布に東に向かって歩くことにしました。

等々力渓谷の西側には5世紀前半の野毛大塚古墳があります。全長82mの帆立貝型の前方後円墳で、南武蔵の有力な首長の墓だったと考えられています。公園内に良い状態で保存されており、墳頂部には出土した甲冑、剣、玉の図が記されていました。

等々力渓谷に沿うような形では、古墳時代から奈良時代の横穴がいくつか残っています。そのうちの3号横穴が、ほぼ完全な形で保存されており、中を覗くことができます。

お正月なので渓谷に隣接する等々力玉川神社にお参りし、お汁粉を食べました。

ここから渓谷を離れて東に向かいました。田園調布にいたるまでにいくつかの大きな古墳があるのですが、いずれも鍵が掛かってたり、工事中だったりで、残念ながら立ち入ることができませんでした。

それにしても等々力から田園調布のあたりは豪邸ばかりです。古墳時代には多摩川を眼下に望む丘陵部に武蔵を支配する豪族が居を構えたのですが、時代が変わっても世の中を実質的に支配している人間の嗜好・思考は変わらないのかもしれません。

 

これは玉川神社で買った羊が刻まれた土鈴。久しぶりに干支土鈴をゲットしたのであります。

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