最近の読書

読書ブログだったのに、いつのまにか登山ブログ状態。でも読書は続けている。最近読んだ本をふたつ挙げてみる:

・「写楽 閉じた国の幻」 (島田 荘司)

島田荘司が謎の浮世絵師写楽の正体としての新説を、小説の形で発表したものと考えられる。歌麿が登場するが、写楽の正体という訳ではなく、写楽の作品に特異な関わり方をしたというのが味噌である。ひとつの説として立派に成立していると思うが、真説という域に達しているとも思えなかった。だが、江戸の浮世絵の世界が生き生きと描かれており、版元の蔦屋重三郎、それを取り巻く浮世絵師や戯作者らの生き様が気持ち良い。ミステリーとしては少し冗長な感じもするが、思いもかけない大胆な推論で、とても楽しめる作品だった。

・「ヒトはなぜ神を信じるのか」(ジェシー ベリング)

「自然放射線量が2.5ミリSv(250 ミリrem)から3.5ミリSv(350 ミリrem)に上昇しても、発がん率は上昇せず、認識できるような公衆衛生上の影響は何も起きない。同じように、自然放射線量が2.5ミリSv(250 ミリrem)から1ミリSv(100 ミリrem)に低下しても発がん率は低下せず、公衆衛生上の問題に一切影響を与えない。」

これが福島の残留放射線に関する国連の公式な見解である。

ところが未だに福島の放射能レベルに関するデマを共有し、県民に理由のない避難生活を余儀なくさせる状況を作り出している人たちがいる。脱原発に象徴される原理的思考、それに共通する宗教性、その根源的な理由とは何か、というのは未だ僕にはよく分からない。

著者は認知心理学の立場から、人が神を信じるに至った最大の要因を、人が他の人がどう行動するかを推理する能力に帰する。つまり人が見てるからやってはいけないと考える能力は人間に特有であり、人間はその特性を集団における行動抑制の基本としてきた。そして「人が見てるから」は、集団の中で神が見ているからに変質する。このあたりは認知心理学というより行動心理学の領域だろうか。まあ始まりはそうなんだろうと思うけど、人間の社会が複雑化した現代では人間は常に不安と隣合わせで生きているという社会心理的要素の方が大きいような気がする。

このブログで言及したことがある僕の一番好きな短編「龍と十字架の道」の主人公のセリフは、この心理学者の分析よりはるかに説得力があると思うのだ。

「いずれ真実がわれわれを自由にしてくれるだろう。しかし、自由は冷たく、うつろで、人をおびえさせる。嘘はしばしば暖かく、美しい」