脱原発という宗教

Cult directions

最近の政治状況には語るべきものが少なかったが、衆院選を控えての国民の動きに勇気づけられることもある。ひとつは直近のサーベイによって、乱立する新党がこぞって掲げた脱原発という争点が、国民が重要なものと位置づけてないことが明らかになったことだ。一方日本の財政と雇用の問題は深刻で、経済がメインの争点と考える国民が多いのは、いたって健全なことである。

前から言っていることだが、原発のリスクは我々が生きていく上で直面する様々なリスク・・・雇用、病気、事故の現実のリスクに比べて(恐怖というファクターを除けば)無視できると言ってもよいほど低い。実際、純粋に科学的な観点からは福島レベルの低線量の被曝で、がんが増加する可能性は測定誤差の範囲に収まることが計算されている。

もちろん我々が無限の資源、無限のお金をずっと使い続けることができるシステムの中で生きているなら、(地球温暖化の議論も棚上げにして)原発を今すぐやめることも可能だろう。だが、実際は我々は何かに資源を投下すると、何かを削らなければならない。既にストックとしてエネルギーを生成する資源である原発の廃棄を推進すると、化石エネルギー確保のために兆の単位で国費が失われる。それは誰かを助けるためのお金を削るということを直接に意味するのだ。結果として、脱原発によりそうでない場合に比べて多くの人命が失われるだろう。

脱原発を主張する人たちに共通するのは、この世を完全な善と完全な悪に二分する思考である。現実の世界はあまりに複雑化し、善と悪との間に明確な境界線などない。そして幼稚な現実認識の帰結として二分化できない現実に常に不安を抱えざるを得ない人たちに、311の時に忽然として現れたのが、彼らの救世主としての絶対悪=原発であった。悪魔と神が一対の概念である以上、原発は彼らの神であると言って間違いはない。だから、彼らは自分に都合の悪い事実は見ないことにする。あるいは隠す。あるいは抹消する。

脱原発をメインの争点として誕生した日本未来の党がWEBで行った脱原発アンケートは、その象徴と言える事態となった。アンケートでは未来の党の期待に反して、「脱原発に反対」が「賛成」を圧倒したのである。慌てた未来の党は、アンケートの質問を一部変えた。だが、またもや脱原発は支持されなかった。進退窮まった未来の党は、唐突にこのアンケートWEBを閉鎖したのである。僕はアンケート結果が正確に国民の意思を反映しているとは毛頭思っていない。問題なのは、未来の党が自分に都合の悪い事実を抹消したことである。このことがこの党の性格をなにより物語っていると思う。未来の党に関しては、政党設立の過程で小沢氏の操り糸が見えてしまったこともあり、選挙での惨敗は免れないだろう。

では僕が、唯一脱原発を謳わない自民党を支持するかといえば、実はそうではない。より重要な争点である経済政策が「脱原発政党」並に幼稚なので、全く支持することができないのである。僕も投票先は選挙日まで悩むことになりそうだ。

このような時に脱原発のような単純な二値論的思考は、悩まないという点でうらやましくもある。

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