松岡正剛の「山水思想」 ちくま学芸文庫
「負」の想像力と副題されたこの本。いやあ読み応えありました。
松岡正剛は、画家をしていた叔父の友人だった横山操の最後の言葉「雪舟から等伯をたどりたい」から、日本画の思想を考察していく。例によって博覧強記の松岡にしかなしえないような、時空を超越した縦横無尽の思想の冒険が展開される。松岡に言わせると編集的操作ということになるのかもしれないが、僕は何と言うか物語的な語り口のうまさを感じた。
僕の長らくの疑問のひとつは、雪舟の絵って何でそんなに良いのか、なぜ皆がこぞって取り上げるのか、ということだった。だけど、松岡がこの本で中国山水の系譜、その背後にある道教、老荘思想の歴史的展開から雪舟への長く複雑なリンクを解説してくれたおかげで、やっと雪舟の歴史的な立ち位置が分かった気がする。
そこまでの議論だけでも松岡の恐るべき知性に圧倒されるのだが、この本の真骨頂はその後、つまり雪舟から等伯に至る展開における日本画の方法、松岡言うところの「負」の思想の考察だ。日本的な山水という思想が議論されるのだが、松岡はその流れの上に、日本美術史に関わる様々な問題意識を滑り込ませる。例えば、日本では建築的な構築力と絵画的な構想力が別々のものとして発展してきたこと、日本文化の方法が、コードを輸入してモードを自前に作り直すことであったこと、等々。
この本が小説的なのは、松岡がそのような日本的山水の成立過程を考察する中で、あたかも小説のエピソードのように等伯と狩野永徳のライバル関係を描き出すようなところだ。驚くべきことに松岡の思考は、西洋美術史上の偉大なライバルだったアングルとドラクロアまで及ぶ。
これほど多くの問題意識を詰め込んであるのに、この本の読後感はそれほど重くない。卓越した語り口となにより緻密に計算されたプロット(といったら怒られるだろうが)によるものだろう。僕のように直感的な人間でも、知識が整理された形で記憶されていると感じさせてしまうのがすごいところだ。
松岡正剛のおかげで雪舟が僕にとってかなり身近になったことは確かだ。だとしても、僕が雪舟を好きになれないこともまた、依然として確かなことなのである。
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