日本人の<原罪>

「日本人の< 原罪>」は精神科医の北山修と国文学者の橋本雅之が、イザナキ・イザナミの日本神話を通して日本人の精神構造、特にその罪の意識を探るという試みです。

神話では、過酷な国生みの末に亡くなり、黄泉の国に行ったイザナミを追って行ったイザナキが「見ないでください」というイザナミの禁を破り、醜く変貌したイザナミを見て逃げ出し、最後には川におけるミソギをもってケガレを清めます。

ここで北山と橋本は、この神話には妻の懇願を無視して恥をかかせたイザナキに反省も贖罪もなく、あたかも自らの罪が無かったことになっている事態の不自然さを指摘しています。そしてこれが日本社会に広く受容されている差別意識の共犯関係であり、問題の本質に向かい合うことなく、物事の表層に留まることで「なかったことにする」日本的なシステムの原型となった物語であると論じます。

この本は第1章で精神科医としての分析を元に北山が基本的な問題提議を行い、橋本が第2章で現代語訳を交えた問題の整理と解説を行っています。第3章は両者の対談です。

この本の良いところは、イザナキの原罪というところに論点を絞っているところです。それにもかかわらず、北山の第1章はとても分りにくい。北山はフロイト派の末裔なのですから、フロイト派お得意のシャーロック・ホームズ的な謎解きに仕立て上げることも容易であったはずです。でもなぜか、彼のテキストはレトリックを多用した難解な表現が目に付く。これに対して国文学者であるのに、橋本の第2章は極めて論理的です。橋本は北山のテキストを、驚くほど明快な論理で読み解いていく。まるで、神話学者が神話を読み解くように。

つまり、この本は北山と橋本が日本神話を語るという物語の中で、橋本が北山の神話を読み解くという構造になっているのです。僕はこの本は第2章から読み始めるのが良いと思います。それから第2章で神話的に参照される北山の第1章を読んで、最後に第3章の対談を読めば、この本が執拗に問い続ける日本人の原罪がよりクリアに浮かび上がってくると思いました。

ちょっと構造的な話になってしまいましたが、精神科医と国文学者が日本人の原罪を語るというこの本、とてもエキサイティングな読書体験でした。

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