複数の古代

今日は登山グループで黒斑山に登る日だったのですけど、直近の浅間山が噴火したので、篭ノ登山に変更。でも結局前線が近づいたため、残念ながら中止(涙)。

北京五輪でブログを更新してないけど、本は相変わらず読んでました。1冊は久しぶりに古代史物の本でした。神野志隆光が日本書紀と古事記を語った、「複数の古代」(講談社現代新書)です。

久しぶりに古代世界のロマンを感じたかったので、題名につられて買ってしまったのですが、神野のこの本は徹底的に文献学としての記紀論でした。神野の言わんとすることは、日本書紀と古事記はテキストのレベルで異なる物語を語っているのであり、決して現実の歴史と混同してはならない、ということです。

古事記というのは「オーラル」なことばの世界を現したテキストであり、一方日本書紀は文字による統治の成立を綴ったテキストである。つまるところ複数のテキストに彩られる多様な言語空間としての古代の豊かさを尊重すべきだ。

神野の言うところはわかるけど、僕のような古代史マニアにとって興味があるのは、そのような文献学の延長線上に「歴史としての事実あるいは物語として何が見えるか」、ということです。そういう意味では、学問的に厳密でなくても良いから、古代を豊かな想像力で幻視するような梅原猛なんかの著作の方が断然面白いことになるわけです。

やっぱり素人には、テキストの厳密さではなくてテキストの快楽が必要ですよね。

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