「七人の侍」と現代

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四方田犬彦の新たな黒澤明論。何で今頃クロサワなのか、それはコソヴォやパレスチナのような戦時の社会において、今現在注がれているクロサワへの視線にあると著者は言う。そこではクロサワは過去の巨匠ではなく、アクチャルな存在として機能している。

このように四方田犬彦はやや南北問題的な視座から話を始めるが、彼が試みるのは、既にひとつのジャンルとして生き続ける「七人の侍」という映画の多面性である。四方田犬彦は「7人の侍」という今ではひとつのジャンルと化した構造的な物語を、独自の視点から分解し、新たな意味を付与していく。

僕はこの作品より娯楽的な用心棒や椿三十郎の方が気に入っていたのだが、四方田犬彦は「七人」を全く違った意味の体系、全く別の物語に変えてしまった。彼は現在、映画史の教壇に立っているらしいが、四方田犬彦を読んで昔の映画を見直すというのはひとつの楽しみ方だと思う。それは彼が優れた教育者だと言うことを意味している。

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