場所の現象学

僕は近年とみに日本の景観が悪くなってきたことを残念に思っているのですが、これって日本人の趣味が悪くなってきたということなのかな。よくわからんです。

というわけで、景観に関するなにがしかの知見を得ようとして、その分野の古典的な書物のひとつとされるエドワード・レルフの「場所の現象学」(ちくま書房) を読んでみました。

例によって日本語のタイトルは大きく変えられています。原題は「Place and Placelessness」ですから、そのまま訳すと「場所と没場所性」というようなところでしょうか。多分分りにくいからタイトルを変えたのでしょうけど、そもそも英語の方のタイトルだって、英語文化圏の人にもよく分りませんよね(たぶん)。別に日本語だから分りにくいわけではないと思うので、いいかげんに「分りやすいタイトル」に変えることはやめて欲しいです。

それは小さなことなのでさておき、僕がこの本から肝心の場所とか景観に関する知見を得られたかというと、これも残念ながらそうではなかったです。

この本、最初に場所の特性を細かく分類しています。例えば場所は、「実存的外在性」、「客観的外在性」それから「付随的外在性」等々を持つことになっています。うーん、用語が既に古いですよね。

レルフという人は、フッサールとかハイデガーとかの実存主義の流れを汲む人なのでしょうけど、方法論としての実存主義、現象学ってその後継者たるサルトルの時代にほとんど崩壊してますし、第一、実存主義系の哲学は、(僕に理解できないってことももちろんあるが)、理解するに値する程、テキストとして面白くない。

偉大な著作は、フッサールにしろハイデガーにしろ、たとえその歴史的使命が終わったとしても、歴史の選別を超えた普遍的な知見なり、批判なりを有するものだと思うのですが、このレルフの著作には、残念ながらそのようなわくわくするテキストが見つからない。

レルフは、場所を経験や歴史的な意味に満たされた複雑な体系として位置づけようとするのですが、そんなことは別に実存主義の手を借りなくても、いくたの文学が繰り返し主題としてきたことです。レルフはまた、本当の景観とにせものの景観について言及します。例えば、レルフによればディズニーランドは典型的なにせものの景観となります。このこと自体は全くそのとおりだと思うのですが、それではその二項対立を規定する判断基準は何かというと、ある種の抽象的な自己言及の繰り返しのようなテキストの中に、結局何も示されないのです。

シニカルな言い方ですけど、僕はこの本について、現象学の方法論的な限界を示す良いテキストとしての価値以外に、何も見出すことはできませんでした。一言で言えば、僕にとっては「全然面白くなかった」ということです。

話が変わりますが、正月明けに高校や大学のスポーツの決勝がいろいろ行われました。今日も高校サッカーの決勝を見ましたけど、最近の子の技術の高さには驚くばかりです。そのような試合の中で僕が最も面白いと思ったのは、7日に東福岡高校対伏見高校で行われた高校ラグビーの決勝戦でした。

平日だったので録画してみました。結果が分っているにも拘らず、後半の最後の10分間は手に汗を握ってみました。リードする東福岡に対し、ワントライ、ワンゴールで逆転可能な伏見がゴール前に迫るのですが、後一歩のところで東福岡が守る、伏見が何度も何度も攻めるが、そのたびに跳ね返す東福岡。その攻防がほぼ10分間に渡って続くのですが、どちらもぎりぎりのところで戦っていながらミスをしないから、ゴール数mに迫る伏見に対する東福岡の執拗なタックルという、綱渡りのような構図がとぎれずに最後のホイッスルまで続くのです。

この戦いには実は悲しい物語がありました。このトーナメントの直前に東福岡の正フランカーが踏み切り事故で亡くなっていたのです。明らかに東福岡には16番目の選手が一緒に戦っていましたね。

この決勝戦を見て、僕は天国側の人違いで亡くなったアメリカンフットボールのクオーターバックが地上に戻ってきて活躍する映画「天国から来たチャンピオン」を思い出しました。ウオーレン・ビーティ主演のこの映画は僕の大のお気に入りで、何度も見ているのですが、またDVDを借りてしまいました。スポーツ・ファンタジーとでもいうようなこの映画は、何度見ても泣けます。おすすめです。

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