日本奥地紀行

ブログを書き始めてひとつ良かったと思うことは、自分が何を見て、聞いて、考えているか改めて考える機会ができ、その結果、自分が何を好きで、どのような人間なのか、遅ればせながら分かってきたということです(これまであまり深く考えてなかったのですね)。

冒険とか、神話とか、構造主義とか、いくつかのキーワードをブログの中にちりばめてきましたが、よく考えてみると僕が本当に好きなもの、真に魅せられたものとは、日本の古い伝統的な文化だったのです。

僕は「日本」とはひとつの偉大な文明であると思いますが、同時にあまたの宗教、文化、風俗がシルクロードや多くの交易路を経てたどり着いた文明の終着点だとも思っています。
日本人に対する僕のイメージはなぜか、遠い海の果てから長い旅をへてやってくる波の、最後のひとつに乗るサーファーのイメージなのです。

例えば、日本神話とギリシャ神話には多くの共通点が指摘されています。イザナギ、イザナミの神話などは、遠いギリシャ神話の影響を間違いなく受けていると思っています。僕はたくさんの異国の文化、歴史が時間と空間のフィルターをかけられ、とても美しい形で昇華したのが日本文化の本質だと思っているのです。

だからでしょうか、僕は外国人による昔の日本旅行記が好きです。そこには、日本人が既に失いかけている美しさ、けだかさがタイムカプセルのように保存されているからです。

「日本奥地紀行」は明治の初期に日本の奥地深くを旅行したイザベラ・バードという英国夫人の旅行記です。イザベラは健康のために若いころ旅行を始め、アメリカ、インド、東南アジア等を旅行し、各地の旅行記を残している旅行家です。彼女は、伊藤という18歳の通訳兼召使の少年ひとりを連れ、横浜から日本人でさえ行くのをはばかるような日本の奥地に駄馬に揺られて分け入り、奥州をへてついには北海道に到達します。彼女はそのとき既に40歳を越えており、健康上の問題を抱えていたのですが、それをものともせず、頭脳明晰だが狡猾で現実主義者の伊藤をうまく使いながら、虱と戦いつつ予定したルートを走破します。

彼女は学者でも探検家でも軍人でもないただの妹思い(彼女の旅行記は妹への手紙をまとめたもの)の英国婦人なのですが、それゆえ、専門家が記すことのない日本の日常の世界を鮮やかに、そして素直に記述しています。

イザベラはまずは日光を目指すのですが、ブルーノ・タウトがその価値を全く認めなかった東照宮と杉街道を素直に美しいと言っています。でも、例えば味噌汁については、自分の感覚に正直に「ぞっとするほどひどい食べ物」だと言っています。面白いのは「将来外国人のためのホテルを開きたい」という日本文化に見識が深い金谷さんの邸宅(後の金谷ホテル)に逗留した時の印象を好意的に記していることです。

日光を出た後、ふたりは普通の日本人でもしり込みするような辺境の日本に踏み込みますが、当時、日本の山村の人々は、着るものにも事欠くほど貧しかったことが良く分かります。イザベラは始めて外国人を見る日本人たちの好奇の目にさらされつつ、あえて日本の葬儀や婚礼に立ち会っては、好奇心に満ちた目でその様式的なありさまを記述しています。彼女は日本人が子供をかわいがる様を見て、日本人ほど子供をかわいがる人種はいないだろうと言っています。混浴については、日本の特色と記述しています。

阿賀野川では平底船による橋が架かっていることを記しています。北海道にいたるまでには様々な川や峠を越えていくわけですけど、特に峠の風景を幾度も美しいと記しています。北海道の沿岸風景については、ハワイに比するほど美しいといっています。

最終目的地の北海道では、被征服者たるアイヌの人々の滅びつつある生活をかなり詳細に記しています。アイヌは日本人よりヨーロッパ的な風貌を有しており、美しい人が多いこと、自分たちの先祖を犬だと思っていること、歴史的な経緯から源義経を崇拝していたことなどを、記しています。また、宗教的目的のために常に酒を飲んでいることについては、キリスト教的な観点から悲しむべき悪習と評しています。

一介の英国婦人が少年一人を連れ、明治初期の日本のほぼ半分を縦断したことは、いかに日本が安全な国であったとはいえ、驚くべきことですね。

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