神々の汚れた手

最近読んだ本:
・ 発掘捏造/毎日新聞旧石器遺跡取材班(毎日新聞社)
・ 神々の汚れた手/奧野正男(梓書院)
・ おたくの精神史/東浩紀(講談社現代新書)
・ 動物化するポストモダン/大塚英志(講談社現代新書)
・ 英国人写真家の見た明治日本/ハーバート・G・ポンディング(講談社学術文庫)

僕は「あるある大辞典」にまつわる捏造事件については、結構さめていました。TVメディアにおける番組作りの目指すものが、視聴率とスポンサーからのCM収入である以上、コマーシャリズムの枠内で提示される「事実」に大きな期待はできないと思うからです(まじめに納豆をつくっている方々には大変迷惑な話だとは思いますが)。今回は別の捏造事件について書かれた2冊を偶然読み終わったので、それについて書きたいと思います。

2000年11月5日、毎日新聞から衝撃的なニュースが発信されました。いわゆる「発掘捏造事件」です。

1980年代から、日本には前期旧石器時代(13万年以前)は存在しないというそれまでの通説を覆す多くの考古学的発見が続きました。その中には例えば、原人が宗教観を有していた証拠とされるような「石器埋納遺構」など、前期旧石器時代における世界的常識を覆すような重大な発見が含まれていました。

ところが毎日新聞社は、発掘が捏造されているとの信頼すべき情報を元に、青森の上高森遺跡発掘現場付近にビデオカメラを持ち込み、当時発掘の神様「ゴッドハンド」として名高かった民間の考古学研究者藤村新一が事前に「石器」を埋める様の撮影に成功してしまうのです。

毎日新聞ではその後、撮ったビデオを藤村新一に見せ、発掘が捏造であったことを本人から確認をとった後、毎日新聞紙面に詳細な情報とともに公開したのですが、日本の考古学が20年にもわたり捏造された事実をもとに学問を行ってきた事実が明らかとなったわけですから、その社会的反響は大きく、ノンフィクション作家の立花隆氏も日本ジャーナリズム史上に残るような完璧なスクープとして絶賛し、そのいきさつは、1冊目の「発掘捏造」として毎日新聞から出版されました。スクープ以後、事件の真相究明委員会が組織され、事件は藤村個人の判断と行動であったとの結論が出されました。

と、ここまでは、毎日新聞良くやったね、で終わる話かもしれませんが、考えてみれば、在野の研究者である藤村が埋めた(実は縄文時代の)石器が20年にわたり考古学者、文化庁の専門官を欺けるものでしょうか。

そう、事件の構図というのは、文化庁、東北大学考古学研究室、国立歴史民族博物館(通称歴博)等が一体となり、藤村という一介の民間研究者を隠れ蓑に、ありもしない日本の前期旧石器時代を捏造し、国民を欺いてきた、という組織的な「犯罪」(刑事事件として立件可能ではないため、括弧書きとなるが)だったのです。ところが、事件が明るみに出たとたん、これまで捏造側にいた人たちが全て、「だまされた」といって、事件を糾弾する側に回り、真実を闇に葬ってしまったという、まるで小説のようなシナリオが事件の結末でした。

考古学界というのは、行政と結びついた少数のボスがしきる、まことに閉鎖的な世界なのですが、これに敢然と挑戦して事件の真相を明らかにしたのが、2冊目の「神々の汚れた手」です。例えば、事件の実質的主導者であった東北大学とともに、事件のもみけしとも言える論陣を張ったのが、歴博の館長だった故佐原真氏(故人のことをあまり取り上げたくないが)であったことが、消すことの出来ない資料とともに示されています。プロジェクトX「王が眠る神秘の遺跡~父と息子・執念の吉野ヶ里~」で描かれた吉野ヶ里の開発と保存をめぐる論争の中で、佐原氏は吉野ヶ里遺跡の保存のために決定的な発言をする考古学者という役割を演じたのに、とても残念なことです。

ちなみに、捏造事件の舞台は東北、北海道から関東の広域にわたるのですが、中心となったのが、上高森遺跡等のある宮城県と小鹿坂遺跡等のあるさいたま県といえます。「神々の汚れた手」はほとんどの大きな図書館に収蔵されていますが、オンラインで収蔵図書検索をしたところ、さいたま市と仙台市の図書館には一冊もありませんでした(僕は千代田区の図書館で借りました)。

「神々の手」はいまだ汚れたままなのでしょうか。

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