日本美の再発見

またまた「今時?」と言われるような古い本を読んでしまいました。

先日NHKの新日曜美術館で建築家「伊東豊雄」の特集をやっていて、久々に建築に対してエキサイティングなものを感じたのですが、同時に、ブルーノ・タウトが見出した日本の桂離宮に代表される古典建築とあまりに遠くに来てしまったなあ、とも思いました。そこでまた例によって、図書館でタウトの「日本美の再発見」を借りてきて、再読してみたしだいです。

タウトは桂離宮や伊勢神宮に建築としての普遍的な美を「再発見」するわけなのですが、日本を愛するあまりある種の幻想の日本を作り上げてしまったハーンやバルトとは異なり、日本各地を巡る旅の合間に、常にさめた目で日本の「いかもの」趣味への批判を書き残しています。

桂離宮における単純さの究極に存在するある種神聖なまでの静けさに包まれた美と、町中に氾濫する醜悪な景観は、タウトにとってとても同じ民族の作り出したしろものと思えなかったようですが、僕にとって、今読んでも面白いのは、タウトの「神話化」された「再発見」の事情より、この批判的な部分です。

残念なことにこの事情って、70年たった現在まったく変わってませんね。

はっきりいって、現在の日本は街に見るべき景色が少ないと思います。都心には都庁ビルに代表されるような趣味の悪いビルも多いのですが、少なくともそのダイナミズムが生み出す雑多な構造に、人を魅了する要素があります。しかし郊外は、どこにいっても同じ量販店、ファーストフード店、ラーメン屋、通りを埋め尽くす原色の看板・・・どこまで行ってもやすらぎのない醜悪な景観と成り果てている、といっては言い過ぎでしょうか。

僕が時々山歩きをするのも、古い本に立ち返るのも、いたるところにむきだしのメッセージであふれた、まるでフィリップ・K・ディックのSFのような悪夢的現実から逃れるため、なのかもしれません。

ところで、「日本美の再発見」は通勤途中に読んでいてなぜか無くしてしまい、買って弁償する羽目になりました。タウトはその冷静で論理的な分析で、日本の美術論に偉大な足跡をのこしましたが、僕が好きなのはむしろ思い込みの強すぎるハーンやバルトですね。彼らの本なら無くさなかったと思います。

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