人はなぜ山に登るのか。そこに山があるからだというのは、ただの命題の否定に過ぎない。これに対する著者の認識は明確である。
都市では人間対人間の関係が法律に限らずあらゆるところでルール化され、われわれの行動を規定している。ところが山にはそうした法律はない。動物たちとの接触、自然の脅威に対し、われわれは自分自身の体力と精神力で対処するしかない。そうした場がわれわれの本能の覚醒を呼び起こす。そしてその本能の覚醒が、人間社会で疲れた心身を癒す。
僕の感覚も著者のこの認識に非常に近い。僕の場合は、山のリスクを自分で管理するという感覚が忘れていた何かを呼び覚まし、埋もれていた本能が覚醒すると感じる。実は僕はあまり高いところが得意でない。山頂付近では緊張感を感じることも多い。だが、その非日常の感覚こそが、現代人が失った何ものかの手がかりなのだ。
といっても、この本は現代人にとっての山の効用について書かれたよくあるたぐいの本では決してない。日本の面積のほとんどを占める山は日本人に脅威とともに様々な実りを与えてきた。山には幾世代もかけて形成された知恵や技術があった。それが今急速に失われつつある。日本から民俗が失われつつあるのである。この本は数多くの先人たちの民俗学的研究を掘り起こし、再評価し、今われわれが失いつつある「山の民俗」を明らかにしようとする悲しくも壮大な試みである。
著者は、宮本常一、柳田國男、南方熊楠、網野善彦、谷川健一・・・僕が尊敬する民俗学者あるいは民俗を探求した先人たちの足跡を丹念にたどることにより、マタギに代表される山の民俗が日本人の心に占めていた位置を明らかにしていく。それは日本人の宗教観に深く関わる問題であり、それゆえ我々が抱える危機は根深い。ダムに象徴される生態系を根こそぎ破壊する開発がもたらしたもの=山の民俗の文化と「神」の喪失の延長線上に、今の登山ブームがあるとも言えるのかもしれない。
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