縄文の思考

小林達雄の「縄文の思考」 (ちくま新書)

小林達雄が最初の方で、日本考古学会を揺るがした「発掘捏造事件」への反省を行っています。これは科学的根拠のほとんどない無茶苦茶な発掘調査報告を放置してきた学者のひとりとして当然の姿です。再三指摘しているとおり、日本の考古学にはしっかりした方法論、実証的な土壌というものが未だ欠如しています。

これはひとつには日本の大学の考古学部が文学部に所属しているという、特殊な事情によるところが大きいと指摘されています。考古学は科学の範疇にあり、文学ではないのですから、当然科学的方法論を基盤としていなければならない。でも日本では科学的な方法を身につけないまま考古学をやるということが普通のことであり、従って仮説に対する検証とか、批判に対する論理的な反証がなされないことが当然であるというような異常な土壌ができてしまった、ということです。

それはともかく、この本ですが、小林達雄が縄文の中に単なる前農耕社会というだけでなく、豊かな文化、社会としての成熟を見ると言う内容です。やや散文的ですが、ところどころに面白い知見がありました。例えば縄文では農耕という段階には達していたなかったが、それでも意図的に様々な種類の植物を栽培していたと推定しています。これが正しいとすれば、縄文には現代を先見した英知があったということも可能です。なぜなら、現在土壌を荒廃させる単一の植生による農業に代わるものとして、ひとつの農地に複数の植物を同時に栽培するという農法が注目されているからです。

エコロジカルな豊かさという点では、江戸のはるか以前に縄文という文化にもっと注目すべきかもしれません。

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