アール・ブリュット/交差する魂

小雨の中、松下電工汐留ミュージアムで開催中の、「アール・ブリュット/交差する魂」展に行ってきました。

結構メディアで取り上げられた展覧会であり、僕自身もいわゆるアウトサイダー・アートには興味があるので、期待を持って行ってきました。内容は、スイスのローザンヌにあるアール・ブリュット・コレクション(アール・ブリュットはフランスのアウトサイダー・アートに相当する)と日本の近江八幡市にあるボーダレス・アートミュージアムNO-MAとの共催となっており、西欧と日本のアウトサイダー・アートが歴史的な邂逅をするというのが、展覧会のメイン・テーマとなっています。

新日曜美術館で取り上げられたし、美術雑誌(芸術新潮だったかな)でもあらかじめこの企画と展示物を見ていたので、例によって既知の体験となっていたせいもあるかもしれませんが、かなり物足りなかったです。

作品に力がないわけではないのに、印象が希薄なのはなぜかを、帰りの電車で考えていたのですが、まず日本の作品の量が少なかったことが挙げられます。この企画を考えた日本の方が、日本の作品での単独開催を強く望んだアール・ブリュット・コレクションの反対を押し切って共催にこぎつけた結果だということなのですが、この熱意が裏目に出たと思います。なぜかというと、日本のアウトサイダー・アートはほとんどが自閉症の方の作品でいずれもが独自のビジョンを持っています。そもそもアウトサイダー・アートとは、既存の美術の方法論を逸脱した存在であり、美術史の系譜の外にあるものだと思います。それをわざわざ西洋との比較において共通項を見出そうという方法論が、矛盾だと思うのです。

例えば、電車の正面の絵を毎日、毎日あきることなく描いた作品があります。これがこの展覧会では、都市の幻想というくくりで展示されています。だけど、僕はこの作者は都市空間になど全く興味がないと思います。彼を捉えて話さないのは、電車であり、それ以外ではない。そして彼の作品を生み出す製作過程は、僕らの想像をはるかに超えた次元の物語なのです。

この電車の作者の作品は1点だけでしたし、同じジャンルに展示されていた現実に存在しない都市の俯瞰図を描く作者の作品も1点だけでした。正直言ってアール・ブリュットの作品を展示するくらいなら、日本の作者の作品をもっと見たかったです。

この企画は、日本のすばらしいアウトサイダー・アートを、(多分企画者の意図はそうでなかったとは思いますが)商品としての「芸術」の枠内に押し込める結果になったと思います。何より作品の有する力強い独自のメッセージが、西洋美術史的な分類学の思考の先に、希薄になってしまったのが残念です。

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