仮想化社会の現実

今日、新聞に興味深い記事が出てました。

埼玉県の小学校で、教諭がテスト用紙を配って、一番上に自分の名前を書くように言ったところ、書かない子供が何人かいる。ネットの仮想的な環境に慣れすぎたため、感覚が極度の視覚依存となり、聞いているのに意味を理解できない子供が出てきているらしい。

どうやら、僕が恐れていた仮想社会がもたらす危険は、セカンドライフの浸透以前に、既に現実のものとなっているようです。考えてみれば我々の生活は仮想されたアイテムで満ち溢れています。あなたが見ているPCのデスクトップも、アイコンもフォルダもゴミ箱も、現実のアイテムのメタファーでしかなかったはずなのですが、今はそれが最もリアルな現実となっています。

ひとつのクリックで別の世界が魔法のように現出するインターネット、一度の入力で何でも好きな情報にアクセスできる環境、それらは一見とても多様で豊かな世界に見えるけれども、その背後には麻痺し、無力化された感覚の死骸が累々と横たわっているのです。

僕が浮世絵、特に広重に惹かれるのは、彼の絵に描かれた町人にしろ役者にしろ、美しい背景の中に(仮想ではない)確固とした現実を確保しているからかも知れません。

我々は美しい背景のみならず、現実さえも失いつつあるのではないでしょうか。

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