美の死

久世光彦の「美の死―ぼくの感傷的読書」(ちくま文庫)

久世光彦がその少年期を過ごした時代と僕の時代とはもちろん時代が違うのだが、それよりもやはり興味の対象が全く違う。久世が好んで読んだのは、太宰治、中原中也、ランボーそして江藤淳。その時代の少年が熱狂した「亜細亜の曙」のような冒険小説には、(僕には時代を超えた新鮮な興味があるが)彼は全く興味がなかったのだ。

この本は久世の読書批評というより、作家幻視である。彼はお気に入りの作家達がどのような心持で、どのような息づかいで物語を生み出していったのかを語る。彼には作家の声さえ聞こえるようだ。彼は作家の生き様を追う作家であり、作家を物語る作家なのだ。

テクノロジーの信奉者である僕にとって、久世の感傷的な作家論はとても異質のものだった。でも一種の怖いもの見たさのようなもので、一気に読んでしまった。たまには理性を忘れ、狂おしく耽美的な世界に浸るというのも趣向というものだ。

ところで、僕はこのブログにある変化を導入した。もうお分かりだろうが、文体である。文体が変わるということは単に文章のスタイルが変わるということではない、物の見方、あるいはそれ以上のもの、端的に言えば行き方が変わるということだ。

でも既に変わってしまった僕には、変化は感じられないはず。そのような僕も過去のブログを読み返した時には、何かが変わったことに気づくことになる。ちょっと変だけど、そういうことなのだ。

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