横尾流現代美術

横尾忠則が現代美術を語った「横尾流現代美術」(平凡社新書)を読みました。

2002年の本ですから、現代美術の評論としては既に古いということになりますが、これははむしろ様々に変化しつつ時代の先端を駆け抜けたアーティスト横尾忠則としての生き様を、現代美術との関わりを中心に語った自叙伝として読むべき本です。

アンディ・ウォーホール、ジャスパー・ジョーンズ、リサ・ライオン、篠原有司男、赤瀬川原平等、様々なアーティストが登場し、彼らとの交流が面白く綴られています。

僕は横尾忠則の展覧会を2度、いずれも原宿で見ています。ひとつは有名な滝のポストカードで会場を埋め尽くしたようなもの、もうひとつは回顧展的なものでした。その印象から、この人はたぶん変人だろうな、と思っていました。今回、彼の著作に初めて触れて、横尾忠則って意外に普通の人の感覚を持っている人だと感じました。

とても共感したのが、日本の批評家のだらしなさ、主体性のなさに対する指摘です。日本にも世界的なレベルの作家は沢山いるのですが、彼らの多くは外国人によって見出されたものです。例えば、これはこの本で始めて知ったのですが、赤瀬川原平はクリストの少し前に梱包作品を発表していたのです。それって美術史を塗り替える事実なのですが、日本の批評家にはそれを指摘する気概も勇気もないのです。

彼はまた作家の自立、主体性ということを大切にします。彼の滝にまつわる作品に関して、その後「ある日本画家」が滝をテーマにした作品を作っていることを、主体性のない行為だと批判しています。「ある日本画家」って、もちろん千住博のことですが、この場合、横尾の追随とか模倣とかいうことではなくて、千住の絵画活動の主体性に対する総体的な批判でしょう。おそらく、横尾から見れば、千住はラッセンくらいの画家にしか見えないのだと思います。

そこまで言うのは千住がかわいそうかなとは思いますが、まあ日本の芸術家の中でも横尾忠則にしか言えない素直な言葉ではあります。

彼は徹底的にノンジャンルの人で、尊敬する画家も、ウォーホール、シャガール、キリコ、岡本太郎、小林清親、狩野探幽等、様々です。岡本太郎については、偉大な戦う画家なのだけど後期の作品にあまり共感しないといっていることには、共感(というのもおこがましいけど)しました。僕も熱烈な太郎ファンを自認しているのですが、最近修復された大作「明日の神話」は、原爆の炸裂の瞬間をテーマにしていることや、行方不明から復活した数奇な運命から、偉大な作品でなければならないことになっています。でも僕はこの作品を純粋に芸術として見たときには、初期の作品と比べて数段落ちると思います。僕は太郎の作品で最も良いのは、「美の呪力」等の著作、2番目が彫刻で、絵画は3番目だと思っています。

岡本太郎なき現在、横尾忠則にはまだまだ、自由奔放に活躍して欲しいです。

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