火山噴火と海底ケーブル

技術

先日トンガで起こった火山の噴火に伴い1本しかない海底ケーブルが損傷し、通信がほぼ途絶したことが話題になりました。実は僕にはこの噴火と海底ケーブルという組み合わせについて、デジャブのような感覚があります。話は1986年、僕がKDD(当時の国際電信電話)で光海底ケーブルの開発をやっていた時に遡ります。

海洋実験

光ファイバーによる最初の太平洋横断ケーブルを目指した開発は、その年に評価の最終段階に差し掛かり、米国AT&T社との相互接続試験の実施など、僕は人生で最も忙しい時を迎えていました。中でも最も重要な試験の一つが海洋実験で、新しく開発された光海底ケーブルと光海底中継器を数十Kmに渡り実際に海底に敷設し、信頼性、運用性などを確認するものでした。

1986年11月15日、複数回行われた海洋実験のおそらく最終段階の実験だったと思いますが、そのために開発部隊の一部が山下ふ頭に集結していました。しかしその日の早朝、台湾沖で海底地震が発生し、台湾と海外を結ぶ海底ケーブルが損傷し、日本台湾間の海底ケーブル通信が断絶したのです。

KDD丸

海底ケーブルはケーブルシップという特別な船で敷設、保守が行われます。その時の海洋実験もKDDが所有するKDD丸というケーブルシップを用いて行う予定でした。ケーブルシップは通常の船とは異なり、いくつかの特殊な機能を有しています。まず内部に海底ケーブルをぐるぐる巻きにして貯蔵するケーブルタンク、それに接続された海底中継器を保持する機構、それらを海中に送り出したり回収するためのケーブルエンジンがあります。また船首と船尾は海底ケーブルと海底中継器が接続された状態で送り出しや回収を行えるよう特殊な形状をしています。またケーブルの保守のため、海流があってもGPSによりその場に留まって作業を行える機能や、揺れを軽減するシステム、水流を噴出させることにより船をその場で回転させることができるスラスターと呼ばれる機構などが備わってます。当時のKDD丸にはありませんでしたが、現在のケーブルシップには海中ロボットなどのハイテク機器も備わっています。

台湾沖の海底ケーブル断という非常事態を受け、そのケーブル保守を請け負っていたKDDの子会社KCSが運用するKDD丸はケーブル復旧のために急遽出動することになりました。通常、そのような作業には発注者側のKDDから数名のケーブル保守の専門家が乗り込むのですが、非常事態ということで丁度横浜に集結していた開発要員が充てられることになり、その一人が僕だったと言う訳です。ケーブル復旧には専門性の高いスキルが必要ですが、実際の作業はKCSが行うので、開発しかやっていない僕でもなんとか戦力になるだろうというのが僕の上司の判断だったと思います。

今はもう引退したKDD丸の総排水量は約4,300トン。


1万トンクラスが普通のケーブルシップとしては小さめでしたが、ずんぐりとした形が一般的なケーブルシップとしてはスラリとした形状で16ノットの航海速力を誇っていました。こちらにKDD丸建造の記録が映像として残っていますが、今も基本的には変わらないケーブルシップの設計思想や細部の作りが分かって、とても興味深い内容となっています。

三原山噴火

11月15日夜にはケーブル復旧の準備が整い、KDD丸は15日の夜半に係留地の山下埠頭を出発しました。そして船の出発と呼応するかのように、同日の17時過ぎに伊豆大島の三原山が噴火を初めたのです。

KDD丸が伊豆大島の近くを航行した頃、噴火はまだ小規模で後に起こる爆発的噴火には至っていませんでした。しかしKDD丸の甲板からは三原山から上方に噴出される溶岩が、闇の中で花火のように輝いて見えました。それはただただ美しいとしか言いようのない眺めでしたが、同時にそれからの困難を暗示するものでした。

航海

それまで実験でKDD丸には乗船したことがあったけど、行き帰り数日間しかも近海の比較的穏やかな航海でした。しかし今回の台湾沖までは2,000km以上あり、全速で航行してもまる3日掛かります。初日から軽い船酔いが始まり、日を重なるにつれだんだん船酔いがきつくなってきました。船には専門のコックさんが乗っており比較的美味しい食事が提供されるのですが、台湾沖に近づく頃には食事が喉を通らなくなっていました。また食事の前にはベルが鳴り食事時を教えてくれるのですが、だんだんベルが鳴ると同時に吐き気をもよおすようになってきました。ほとんどパブロフの犬状態です。

ケーブル修理

当時の海底ケーブルは開発中の光海底ケーブルではなく周波数多重された同軸ケーブルでした。この海底ケーブルが切断された時、陸上のケーブル局から切断されたケーブルの直前の海底中継器までは多くの場合電力を供給できるので、どの中継器の先のケーブルが切断されたのかは分かります。また海底ケーブルは敷設された時のケーブルのルートや海底中継器の位置が全て海図に記録されています。それらの情報をつなぎ合わせ、だいたいの位置を割り出してまずはケーブルをケーブルシップに引き上げてみることになります。

埋設されることが多い沿岸部と異なり、深海のケーブルはただ海底に敷いてあるだけです。ケーブル敷設時には修理の事も考え、実際の距離にスラックという余裕を加えた距離のケーブルを送り出します。修理の時はその余裕を使って船に引き上げ修理をすることになります。それではどうやって船に上げるのかというと、それはセンサー付きの器具を船から垂らして、海図のルートと垂直に海底を引きずり、ケーブルを物理的に引っ張り上げるのです。もちろん海底の状態等の理由で回収できないこともあります。その場合はその付近を何度か走査して回収を試みます。浅海の場合は比較的作業が楽ですが、深海の場合は器具を下ろして上げるだけで数時間掛かります。

ケーブルは引き上げれば終わりというわけではありません。最初に引き上げたケーブルは端末を処理しブイをつけて一旦海に戻します。それからケーブルシップはもう片方のケーブルを探査、回収しそれを保持したまま、ブイをつけた方のケーブルを回収し、船上で再接続作業と通信の確認作業を行います。必要があれば新たな海底中継器を割り入れることもあります。最後にケーブルルートなどのデータの修正を行い、関係当事者に報告を行います。このようにケーブル修理は通常数週間前後をかけて行われる経験と忍耐が必要な世界なのです。

KDD丸が台湾沖に到着後、直ちに修復作業に着手しました。ただ最初のケーブル探査がなかなかうまくいかず、何度かトライして最初の接続が完了するまで数日を要しました。その間に明らかになったことは切断箇所は1箇所ではなく複数に亘るということでした。僕はと言えば、船酔いが回復しないままケーブルの電気的測定をなんとか行っている状態でした。

さらに11月にこの海域ではモンスーンが吹き荒れるらしく、台湾沖で作業を行っている間に大きな嵐に遭遇しました。嵐の時はもちろん作業などはできません。そのような場合は島影に隠れるのが一つのやり方らしいのですが、その海域にはKDD丸が風よけとして使えるような島はありませんでした。また船のアンチローリングメカは大きな嵐には全く役に立たず船は木の葉のように揺れました。個人的に一番近い感覚はジェットコースターでしょうか。一旦上に持ち上げられて急降下するのを繰り返す感じです。後で船員の方に聞いた話だと彼らもあまり経験したことのない嵐だったとのこと。

故障

それが嵐の影響だったかよく分かりませんが、出港してから1週間後くらい後、船の向きをその場で変えることができるケーブルシップの心臓とも言えるスラスターが故障してしまいました。スラスターなしではケーブル復旧は不可能なので、直ちに修理に引き返すことになりました。幸い沖縄でも修理が可能ということで横浜より遥かに近い那覇に向かうことになりました。

1日の航行で那覇には翌日の午前中に着きました。修理には時間がかかりそうだしこれでしばらく沖縄で休めると思ったのも束の間、半日であっというまにKDD丸の修理が完了してしまいました。ということで地上にいられると思ったその日の夜には那覇を出港することになりました。もちろん船酔いが直る暇もありません。

復旧

台湾沖に戻った後、直ちに作業は継続され、更に数日かけて数箇所の修理を完了し、日台間ケーブルは無事復旧しました。僕はそこでお役御免となり、那覇で下船することができました。約2週間の船酔いとの戦いでした。ほとんどの乗船者は那覇で備品や食料を補給した後、台湾と外国を結ぶ他のケーブルの障害復旧のため再度台湾沖に向かいました。台湾に繋がる全ての海底ケーブルの障害を復旧するのには1ヶ月程度掛かったと思います。

最後に

下船後那覇で一泊したのですが、地上のベッドで寝ているのに体が揺れているように感じる、通称陸酔い(おかよい)を経験しました。僕は海の生活には向いてないことをはっきり自覚しました。その後も海底ケーブル関係の仕事は続いたのですが、それ以降仕事で船に乗ることはありませんでした。

噴火はマグマとの関係が、海底地震はプレートとの関係が強いとされています。だからその2つの地球活動が、約2千km離れて同日に起こったことは単なる偶然なのかもしれません。でも少なくとも僕の中では、三原山の噴火、台湾沖でのケーブル復旧作業、KDD丸が遭遇した嵐、それに船酔いに悩んだ航海は全てひとつの物語、苦いけれども懐かしい物語、として完結しています。

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