チェレステのスマホ

日常の写真

最近、長らく納戸に入れっぱなしだった自転車を思い立って整備しなおし、山のない休日には良く乗るようになった。自分でもなぜそうなったかは分からなかったのだが、先日自分のスマホを眺めていた時に、その理由がはたと閃いた。これである。

自転車をやる人は分かるだろうが、このスマホ・カバーはイタリア語でチェレステ(碧空の青色)と呼ばれ、イタリアの世界最古の自転車メーカーと言われるビアンキ社が、自転車の塗装に使う色である。

実際にはビアンキの自転車はチェレステと白が半々位で、その他の色はほぼ使われない。僕がビアンキのクロスバイクを買った時に最後まで悩んだのが、チェレステにするか白にするか、という問題だった。結局、自分の好きな白にしたのだが、せっかくビアンキを買ったのに、チェレステにすればよかったのでは?という迷いが最後まで残った。

写真のスマホカバーは、実は僕が選んだのではなく、スマホ予約の特典として着いてきたオプション品である。そしてこのスマホカバーを使い始めた頃に、自転車の整備を思い立った。つまりチェレステに関する僕の果たされなかった願望が、スマホの色をトリガーに、自転車に乗るという行為として現れたと解釈できると思う。

フロイトについては、彼が発見した潜在意識の理論が、現代では過剰なまでに批判を浴びている。だが、僕はフロイトが発見した、抑圧された意識の層という革命的な知見は、今でも基本的な原則として有効だと思っている。

かつてシュリーマンが発掘したトロイアの遺跡は、シュリーマンが発見したと思った層と異なることが次第に明らかになった。だからといって、シュリーマンがトロイアを再発見した天才である事実には、疑いがない。シュリーマンと同様に、フロイトが発掘した「層」は必ずしもフロイトが想定した通りのものではなかった。だが、フロイトが意識の下にある無意識という広大な地平を切り開いたことは、人類の永遠の成果だと思う。

スマホを眺めていて、ふとそんなことを思った次第。

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