岡本太郎と政治の関係

アート

最近、リアルの読書量が減って、オンラインの青空文庫の出番が増えた。その理由の一つが、震災の影響で図書館の閉館時間が早くなり、仕事の帰りに寄れなくなったことだ。

公共の設備でも省エネに励むのは結構だが、図書館は多くの人が読書、勉強、情報収集に使っている極めて公共的価値の高い設備だ。石原知事ではないが、特定の人の便宜のためだけに使われ、しかも総量で図書館のおそらく10倍は軽く超える電力量を消費する自販機やパチンコとは、同じ電力を使うにも公共性という点で格段の差がある。

と、ぶつぶつ言いながら今日は昼に図書館に行ってきた。こちらは通勤路とは離れたところにある別の図書館だが、こちらも閉館時間が早いことはもちろん、図書の自動貸出機も全て利用不可となっていた。日本にはプライオリティという言葉はないのか、などとまた考えてしまった。プライオリティを決めるのが政治の本質だが、日本にはまともな政治がないのだから、ちゃんと整合はしている、と妙な納得をしてしまった。

図書館にいるときにポケットから折った紙が出てきた。先週に行った岡本太郎展の最後に、くじびきのようなコーナーがあり、そこで一人一枚太郎の言葉を引くという趣向で僕が引いたのがこれだった。

 

岡本太郎は綺麗な絵、うまい絵、洗練された絵がきらいだった。ほんものの芸術はそんなところにないと常に主張していた。

 

 

日本の政治がほんものと程遠いことは、皆ある程度諦めているところがある。だけど未曽有の危機に対しての稚拙な対処を見ていると、にせものでも良いから、技術や知識を持っていてくれたらと思わずにいられない。

現在の政治の状況は、いわば岡本太郎の怒り以前の問題なのである。

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