2つの分岐点

今回の福島原発の危機が、想定を越える規模の地震に一次的な原因があることは明らかだ。また、福島原発のプラントが1972年から継続的に、設計上の脆弱さを指摘されたきたシロモノだということもどうやら、事実らしい。具体的には格納容器が小さすぎて、電源断が起こったときに燃料棒の熱により破損してしまうことである。

だが、往々にして危機とは、想定を越えた事態、誰もが夢想だにできなかった事態が起こったときに顕在化するのだ。ましてやそれが原子力のプラントだった場合、「想定外」という言葉は言い訳にはならない。

想定を超える事態が生じたとしても、優れたリーダーシップや洞察力、あるいは勇気が危機を跳ね返す例を歴史上いくつも挙げることができる。アポロ13とハヤブサを挙げるだけでも十分だろう。

今回の事態もそのような例になることができた。いやそうなるべきだったのだが、そうはならなかった。理由は二つの組織の機能不全にある。ひとつはもちろん東電であり、もうひとつは(ブログで批判するのも疲れたが)日本政府である。遅きに失したことに政府は15日に東電との統合本部を立ち上げたのだが、それではそれまでに東電と政府の間に緊密な情報交換の機会はなかったのだろうか。

もちろんそうではない。それまでに両者は電発の状況について詳細な分析を合同で行っているはずだ。なぜなら既に12日の段階でヒラリー・クリントンから支援の打診を受けており、「日本政府」が自分で管理可能と断っているからだ。

A State Department spokeswoman said late Friday afternoon that, contrary to remarks made by Secretary of State Hillary Clinton earlier in the day, the U.S. Air Force didn’t provide assistance to the Japanese nuclear power plant stricken by the quake. ”I’m told that ultimately the Japanese government handled the situation on its own,” said Julie Reside, a State Department spokeswoman. [NYT]

ここが第一の分岐点だった。この時点で米国と直接協議を行っていれば、1960年代の古いGE社の設計であるプラントへの(日本側にできない)戦略的な対処が可能となっていた可能性が高い。

第2の分岐点は、海水注入の判断の遅れである。これは東電側がプラントの再利用にこだわったこともあるだろうが、事態はもはや民間の会社が判断できるレベルを超えていた。政府は東電が何を言おうと、合同本部を速やかに設置し、政府の責任で海水注入を指示すべきだった。政府は今後の電力不足につながるこの大きな判断の責任を回避し、結果として日本を放射能汚染の危機に陥れたのだ。

重要なのは、1にも2にも燃料棒の冷却である。そこに直線的に向かえなかったことが、その後の迷走をもたらした。そしてその第一の責任は、日本政府にあるといわざるを得ない。

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