著者の山岸俊男は社会心理学者、メアリー・C・ブリントンはハーバード大学の社会学部長でライシャワー日本研究所の教授でもある。この日本と米国を知り尽くした二人が日本の問題を対談形式で語るという趣向。
日本のシステムが危機にひんしていることは明白だが、ひとつの問題が日本の若者たちの間に貧困の文化が生じているということだ。日本留学経験のあるブリントンは、勉強も労働もしない若者が大量に生み出されたのは、若者がはしごを外されたからだという。ここではしごと言っているのは、「まじめ」な生き方が報われるシステムのことである。
山岸もブリントンも、日本のシステムが個人がリスクをとることが不可能な社会であるという点で一致している。おそらく社会システムを研究する学者が見る日本のリスク認識に、ほとんど違いはないだろう。そして山岸が指摘するのはリスクを取れない社会である日本は、結果として実はとてもリスクの高い社会となっていることである。
このリスクがとれないということを、山岸は米国との比較においてデフォルト戦略という概念で説明する。デフォルト戦略とは集団でもっとも賢い、つまり利益が最大化すると思われる行動パターンである。日本では回りと違う行動は排除され、かつ排除された人にセカンドチャンスがないから、いわゆる空気を読んだ行動が賢いオプションとなる。一方米国は失敗しても次のチャンスがある社会なので、リスクを取る行動が賢いオプションとなる。つまり日本と米国ではデフォルト戦略が異なっている。
この本ではその他に社会学の一般的なツールであるゲーム理論や社会コストの概念を使って、日本の病理を分析していく。日本では個人としての戦略でリスクを取ることは不利となるのだが、この本の良いところは、あえて個人にリスクを取れというようなつまらない精神論で終っていないことである。つまり社会システムとして個人がリスクを取れる社会にどうやって移行していくかという観点から、後半に具体的な論点を整理している。マーケットとセーフティネットの関係も言及される。雇用を正規と非正規に差別化し、正規雇用の解除を法的に阻止するような社会主義的施策は、もちろんリスクが最大化する問題外の戦略である。
国家経済に対する世界の常識から周回遅れどころか10週くらい遅れた民主党も、その素人同然の経済学を修正する以前に、コモンセンスとしての社会学から学び始める必要があるのではないか。
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