弥生の神々の末裔

富山至の「弥生の神々の末裔」 梓書院

久しぶりに古代史ものを読みたくなって図書館であまり考えなくて借りたのだが、これが大当りだった。

「どうしてこんなに素晴らしい素材でこんなまずい料理しかつくれないのだろう?」と嘆く著者の問題意識が快い。単なる受験のための暗記物と化した現代の歴史教育のつまらなさ、タコツボ化して全体の整合性を失った研究の実態、そしてイデオロギー論争と化した邪馬台国位置問題・・・。

僕も幾度となく批判してきた日本の古代史研究だが、富山至は「水平思考的発想」、「人間としての常識」そして「総合科学的考察」という極めてまっとうな方法論で、その再構築を図る。

対象は邪馬台国の時代から天武朝あたりまでの古代である。邪馬台国の位置問題から始まり、卑弥呼の後継者のトヨの正体、卑弥呼とアマテラスの関係、朝鮮半島の金韓加羅国と日本の関係、神武天皇と崇神天皇いわゆる欠史八代の問題、神功皇后の出自等、著者は日本古代史の主要な論点に次々とシャーロック・ホームズのような切れ味鋭い仮説を提示する。

邪馬台国は福岡県の八女地方、卑弥呼の墓は宇佐に比定していることから分かるように著者のオリジナルの仮説というものは少ないし、また彼の提示する仮説の全てが正しいとも思わないのだが、全体としてはとても矛盾の少ない安定した通史を構成している。

同じような在野の研究家に関裕二がいるが、事実と推理のバランス感覚においては、富山至が数段優っていると思う。というより関裕二の著作はむしろ推理を基調とした文学に近いと言える。もし関裕二なら富山至の推理を素材にすれば、本10冊は優に書くことができるだろう。

それにしても富山至という人は何者なのだろう。本に自分のバックグラウンドが書かれていないし、この本以外に著作はなさそうだ。インターネットで名前を検索してもほとんどヒットしない。唯一出版社が梓書院ということから、この出版社に縁の深い安本美典先生の関係者ということも考えられるが、安本先生の著作をきっかけに古代史に興味を持ったというだけのことかもしれない。

富山至は本書で古代史の謎に鮮やかな光を提示したが、そのひととなりは謎である。

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