少し前に大前研一が彼のブログの中で、最近欧州の人と話をしていて「日本は20年前に世界地図から自然と消えた」という趣旨のことをよく言われると書いていた。確かに日本の存在感はそのころ、ほとんど世界から忽然とミステリーのように消えてしまった。
僕は日本のマスコミというものを全く信用してないので、世界の動きはBBCあたりから仕入れることにしているのだが、例えばBBCのAsia-Pacific欄に日本の動きが出ることはほとんどない。新しいことを伝えるのがニュースの本質なので、政治のリーダシップ、特に変革への意思というものが欠如している日本のことを報道する必然性がないのは当然である。
それに拍車をかけているのが日本のマスコミのおそまつさである。池田信夫あたりも指摘していることだが、日本のマスコミのWEBニュースにはパーマリンクが設定されない。パーマリンクとは「個別のコンテンツに対して固定的に設けられたURL」のことである。つまり日本のニュース記事は固定のリンクが張られないため、ある期間を過ぎると検索しても出てこない。検索でヒットしても「存在しないURL」とか出てくるだけである。
どうやら自社内の有料検索というビジネスモデルを守るためらしいが、現在の世界では、Googleで検索できないコンテンツは存在しないと同じである。日本では日本国内のニュースを調べて事実を検証しようとしても、不可能なのである。逆に言えば、どんなに無責任なニュースを垂れ流したとしても、「事実」として存在しないのだから責任を問われることもない。
例えば前原国土交通相が八ッ場ダム中止の方針を表明したとき、日本のマスコミはこぞって「前原大臣の強権発動に一方的に痛めつけられる地域住民」という分りやすい物語で報道した。ところが実際は地域住民の中にも当然ながら中止賛成派も少なくないし、ダムのもたらす長期的な害悪に嫌悪感を持っている国民が増えてきているのだ。自分達の用意した物語があまり受けないと感じたマスコミが次に流したのは、「最初は前原大臣に批判的だった住民の中にも受け入れようとする動きが現れた」という物語である。結局、マスコミが最終的に作り上げた「事実」は、「必然性のないダム建設の葛藤の中で50年もかかって苦しんできた住民は、短期間で意見をころころと変えるいいかげんな人種」だという架空の物語であった。
民主党の時代遅れのマクロ政策について書こうと思っていたのに、日本のマスコミの批判となってしまった。まあこれらは変化に対する勇気の欠如という同根の問題でもあるので前者は、また改めて書いて見たいと思う。
コメント
日本のマスコミ、特にテレビ関係。本当にいいかげんですよね。
NHKの特番なんて殆どやらせですし、民放も視聴率稼ぎのやらせが横行しています。バラエティーは仕方ないですが、報道番組は正確に公平に中立に報道してほしいものです。
インターネットの普及で新聞の経営が成り立たなくなっているのは世界的な現象で、米国あたりでは新聞報道を守るために公的なサポートをしようという議論があります。もし日本の新聞がこれまで(いいかげんな物語の押し付けではなく)正確な報道を続けてきたならば、そのようなことも考慮の対象でしょうが、正直言って日本の新聞が消え去ったとしても全く世の中の損失ではない。民主党もマスコミにまで得意のばらまきはやらないでしょう・・・多分(笑)