レヴィナス 何のために生きるのか

どんな難解な思想もひとことで言い切ってしまう内田樹が、とたんに持ち前の明晰さを失うのが、レヴィナスを語る時です。

きっととてつもない問いが隠されているのだろうと思ったので、レヴィナスに関する一番分かりやすそうな小泉義之の本を借りてみました。期待通り小泉はこの本で、現象学的な議論はさておいて、レヴィナスの立てた問いを分かりやすく解説します。

哲学のおそらく最も古典的な問いのひとつが、人生の目的は何か、というものですが、レヴィナスはその問いが、実は意味のある問いではないと言います。人は何かのために生きるのではなく、生きていくことそのものが意味であり、価値であると。そしてどんなに絶望的な状況でも、生きていることが充足なのだと。

それでは哲学の最も重要な問いは何かといえば、おそらく「死」とは何か?という問いでしょう。これに対するレヴィナスの端的な答えは、個人としての死の否定、ということになります。つまり生きるということは、生物学的な個体に止まるのではなく、個体が関与する全ての人、記憶、行動、社会の総体としての「生」なのだと。

これって一神教的で個の確立を是とする西欧社会への批判として真摯であり、重要な問いかけだと思いますが、そもそも多神教的な社会、アニミスム的な宗教観の残る世界では、その問いそのものが意味がないのでは?とも感じてしまいました。

一神教的な物語の氾濫の中にかつての多神教的な風土を埋没させようとしている現在の日本で、レヴィナスの知見を必要とする人たちが増えているということかもしれません。

少なくとも僕の場合は、レヴィナスに学ぶより、日本の古代の原始的な生命感、素朴な信仰のあり方に学ぶことの方があっていると思っています。生意気ですが。

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