浮上せよと活字は言う

橋本治の「浮上せよと活字は言う」(平凡社)

橋本治のこの本は、珍しくシエイクスピアの「プロスペロー」についての文章から始まります。でも僕が面白かったのは、日本の雑誌と「若者の活字離れ」と呼ばれた現象に関する考察です。橋本はここで「POPEYE」が文字の列から文章の意味を排除することにより、一躍時代の寵児となっていった事情を語ります。

この現象はカタログとかブランドの隆盛という時代の動きと見事にシンクロしていく訳ですが、橋本はこれらの動きの「他者」として、その時代の大衆の意識を考察していきます。橋本の有するある種、絶対的な「他者性」を、僕は共有するわけでは決してありませんが(そんなことは橋本のような天才にしかできないことです)、僕もまた「POPEYE」のふりまく時代の幻想としての流行の枠外にあったことは事実です。

僕も当時から「POPEYE」のような雑誌に魅力を感じませんでしたし、現在も雑誌は全くといってよいほど買いません。僕の場合は、単に時代からずれているということもあるでしょうが、橋本のいう「意味を失った活字」への嫌悪が影響していることは、確かだと思います。

年末は今年も多く読んだ「本」についての「本」を読んだことになります。そういえば大晦日なのです。でも紅白歌合戦は見ません。

大晦日に紅白を見なくなった理由は、単にマンネリとかダサイとか言うことではありません。あの番組は「マンネリ」ゆえに見るべきものだと思うからです。毎年年の終わりに、変わらないものを確認する-ただそれだけのために紅白を見る。それ以外にあの番組を見る理由があるとは思えません。

それではなぜ紅白を見ないのか。それは社会の動きがあまりに早くなった結果、年に一度では、変わらないものを確認する頻度としては少なすぎるからです。

というわけで、僕は週に一度、紅白の代理としてのTV番組を見ます。TVはスポーツやニュース以外はほとんど見ないのですが、週に一度だけは、日曜日の朝に「サンデー・モーニング」というバラエティ番組を見ているのです。なぜって、その番組で一週間のスポーツの話題を振り返るところがあるのですが、そこで大沢啓二と張本勲の「ご意見番」と称するふたりの解説者が提示する古臭いスポーツ観、時代から取り残されたような解説が、僕に紅白のような不変の感覚を与えてくれるのです。

というわけで、もうすぐ新年です。来年はどんな本を読もうかな?

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