とりかえばや、男と女

河合隼雄の「とりかえばや、男と女」(新潮選書)

少し前に読んだ「夏目漱石を江戸から読む」は、漱石における男女の扱い、特に一見「女嫌い」と見える原因を推定したところが面白かったです。その流れというわけではありませんが、今回読んだ「とりかえばや、男と女」は、河合隼雄が心理学者としての立場から、中世の奇書「とりかえばや物語」を題材に、性差の社会的機能を分析したものです。

「とりかえばや物語」は12世紀前半に書かれた作者、成立年不詳の物語です。あらすじは、高位の貴族の異母姉弟が、互いに性を取替えて成長し、様々な恋愛関係の果てに、「とりかえ」を解消し、元の姓に戻ってめでたしめでたし、となります。

うりふたつの二人は、最後は弟が男としてふるまっていた姉に、姉は女としてふるまっていた弟に、互いに入れ替わるのですが、それを周辺の誰も気づかないのも、物語のお約束です。

最初に河合隼雄がこの奇妙な物語の梗概を述べているのですが、もとの物語では登場人物は固有名詞ではなく、中将とか、東宮とかの官位だけで記述され、さらに「とりかえ」による複雑な人間関係の中で登場人物がどんどん出世していくのですから、誰が誰だか良く分らないことになります。

そこで河合隼雄の分析ですが、彼は心理学者ですから、一応ユングのアニマ、アニムスによる「原型」理論(女性心理の内界には男性像が、男性の内界には女性像がある)を持ち出しているのですが、そこは型どおりで全然面白くない。

河合は同時に、性を社会的規範の軸のひとつとしての議論を展開しています、そしてその中間項の重要性を指摘しています。これはユングの原型理論に通じるというより、その一般解というような内容で、こちらの方が議論として面白かったです。つまり西洋の2値的デジタル的世界観に対する、あいまいでアナログ的な世界観からの分析です。

この本に関して言えば、河合の分析よりも、彼の梗概による「とりかえばや」の物語構造そのものが一番面白かったですね。中世版のシチュエーション・コメディというか、性というものが流動的かつ取替え可能なラベルのような奇妙な感覚です。僕は最後には中世の貴族社会が、仮面舞踏会のように思えてきました。

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