帯をとくフクスケ

荒俣宏の「帯をとくフクスケ 複製・偽物図像解読術」(中央公論社) 1990年

何だかあやしい題名ですが、荒俣がこの本で問題としていることは、美術界の「価値」至上主義、つまり美術が「価値」「真偽」「希少性」で判定されていることです。要するに美術界が総「お宝探偵団」化しつつあることを、1990年に既に鋭く糾弾していたのですね。

絵とはそもそもそれによって何が伝えうるかであって、その物的価値ではない。オリジナルだろうがそうでなかろうが、そんなことは関係なく絵の原点である「画像」に立ち戻ろう。という思考のもとに荒俣がひらめいたことは、複製や偽物の図像を対象として、美術本来の画像の訴求力を取り戻せるのではないか?ということです。

そこで荒俣はお得意の博覧的な知識で、次々とへんてこな図像を登場させます。それらはあるときにはいかがわしく、あるときには奇妙で、あるときにはあまりにおそまつで見るも恥ずかしい「アート」と無縁の図像たちです。

文字の世界では、ロラン・バルトがテキストの快楽を謳った瞬間から、既存の「文学」の価値の崩壊が始まりました。インターネットがあまねく普及した現代では、もはやテキストは徹底的に解体され、僕らはコピペの連鎖の果ての文字の墓場にいるということです。そこではもはやオリジナルの価値というものは死に絶えています。

でも絵画の世界では、まだまだ「お宝」が幅を利かせているのです。それに対して、作者の意図の完全な放棄と観察者の側の主体的な意図の完全な拡大を、「路上観察」や「トマソン」で試みたのが、誰あろう赤瀬川原平でした。そして、絵画における作者の死を、博物的な「ゴミ」的図像の発掘で宣告したのが、荒俣宏だった、ということです。

などと一応構造的な位置づけを確認しておきましたが、何よりへんてこな図像を見るのは楽しいということであります。

p.s. 過去のブログを見てみたら、youtubeから参照した動画が見れなくなっていました。最近デザインを変えてプラグインなどをいくつか入れた結果、ちょっと表示が重くなっておかしくなったようです。で、デザインをもとに戻しました(汗)。

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