ジャパンクールと江戸文化

奥野卓司の「ジャパンクールと江戸文化」(岩波書店2007年)を読みました。

著者の文化人類学的視点がしっかりしていて、内容も共感することが多かったです。最近は「あたり」の本が多いです。

渡辺京二の「逝きし世の面影」が孤立した文明としての江戸を描いたのに対し、奥野卓司は文明というものに変容しつつも循環する性格を見ます。このあたりは構造主義から文化人類学の系譜を見てとることができます。しかしその方法論とは、近松、西鶴、南北を文化人類学するのではなく、彼らを江戸時代のフィールドワーカーとして、彼らの言説、作品から現代社会の行く末を読み取ろうとするものです。

奥野は、江戸の中期から後期にかけて、文化、芸能が栄え、コンテンツビジネスが現代よりもはるかに開花した時代だと捉えています。つまり奥野が主張することを一言でいえば、「江戸は日本の未来である」ということです。

例えば現代のおたく文化を象徴する「萌え」も、奥野によればかつてのワビ、サビ、イキ、スイという日本的美意識の流れを汲むものだとなります。そしてこのような江戸の町民の文化力から生まれたクールな美意識、自然との共生、エコロジカルな特性こそは、現代的な尺度から見ても最も洗練された文化のあり方なのだと。

江戸は鎖国時代だと教科書で教わりましたが、実際は日本が実質的には世界に開かれており、日本の浮世絵や歌舞伎が他の国との相互的な影響関係の基に成立していたことは既に常識です。奥野はむしろ鎖国状態にあるのは現代の日本なのではないか、と問いかけます。

西欧文明は大量消費とグローバリズムの行き詰まりの後にようやく共生という思想にたどりつこうとしています。しかし日本では既に西鶴や近松が、いや江戸の町民が、エコロジカルでクールな世界を生きていたことを、日本人としてもっと誇りを持って発信すべきだという奥野の主張は、全く正当なものです。

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