猫とロボットとモーツァルト

土屋賢二の「猫とロボットとモーツァルト 」を読みました。

土屋賢二については、雑誌にユーモラスなコラムを書く哲学者ということしかしらなかったのですが、題名が気に入って読みました。結構面白かったです。一応哲学の論文集ということになっていますが、とても分かりやすい言葉で書かれていました。

この本、土屋は芸術、音楽と哲学の関係について語るところから始めるのですが、譜面を使って解説するところがユニークです。でも考えてみれば、観念的、抽象的な議論に陥らないためには、譜面というのはとても合理的な素材だと思います。

その後、土屋は哲学の基本的な問題のいくつか、存在について、時間について、知覚について語ります。まず彼は哲学が、決して常識を覆すようなものでなく、常識の中に存在する概念的な混乱を整理する性質のものだと言っています。この意味でアリストテレスやウイットゲンシュタインの立場に近いし、事実この本にはこの二人の議論の説明が多いです。

哲学の分かりにくさって、ひとつは問題が立てられた後の厳密な論理的手続きにあるのは間違いないのですが、それよりも哲学が好んで取り上げる問題の特殊な、というよりトンチンカンな(と僕は思う)性格、つまり問題がそもそも循環論であったり、原理的に解けない問題であったりすることにあります。

土屋は哲学の典型的な問題に対するプラトン他、様々な哲学者の立場を解説することにより、例えばこの世界がなぜ存在するのか、とういうような問題が、ある種のメタ問題、数学で言えば公理のようなそもそも証明不能な問題であることを明らかにしてくれます。

それからもうひとつが言葉の多義性の問題です。哲学といえども人間が言葉を用いて現実世界の諸問題を記述する学問である以上、言葉が持っている多義性、あいまいさの影響を受けています。土屋は古今の著名な哲学者が、そのような言葉の多義性の罠にはまっていたことを教えてくれます。

僕が好きな学者の一人が、「寝ながら学べる構造主義」で現代思想史を、熊さん、八つぁんの言葉で語った内田樹なのですが、哲学の世界にも内田樹のような存在がいたことは知りませんでした。近いうちに彼の著作をまた読んでみようと思います。

音楽

Posted by artjapan