猪瀬直樹の「ミカドの肖像」、抜群に面白かったです。
僕は美術史的な書物を読んだのが高階秀爾の本が最初だったので、今でも美術作品に対する見方として彼の影響が大きいのです。高階が何かの本で「イタリア古寺巡礼」を薦めていたのを思い出して、「イタリア古寺巡礼」を読んだら、最後に彼の解説が出てきたと言うことがありました。今回「ミカドの肖像」を読んで、また解説に高階が出てきて、そういえばこれも高階が推薦していた本のひとつだったと思い出しました。この構造って何となく釈然としないですが、ともかく面白かったことは間違いありません。
この本、このブログでも取り上げたロラン・バルトの「表徴の帝国」からの引用で始まります。ロラン・バルトは僕のお気に入りの作家で、東京の中心に「空虚」があることを指摘した彼の代表作のひとつである「表徴の帝国」は、日本に対する不意打ち的な切り口が快感で、何度も読み返したものです。もっとも、哲学者、構造主義者、記号学者等、様々な肩書きを持っているバルトの記号学者としての著作、例えば「モードの体系」は、僕の知識というか、知力では残念ながら、まったく歯がたちませんでしたが。
「ミカドの肖像」はそれでは、バルトのような記号的あるいは構造的な分析をやっているのかというと、そうではなくて徹底的にハードボイルド、つまり事実のみを積み上げていくというスタイルに徹しています。表層的には、西武の天皇のイメージを大衆化するような商法、日本人の知らない西洋社会で流行した喜歌劇「ミカド」の歴史、そして明治天皇の「御真影」の内幕、と一見関係ないような3つの主題が語られるのですが、丹念な調査と事実の積み上げにより、最後には日本人の心性の背後に、見えない権力としての天皇制が浮かび上がるという仕掛けです。
もう20年以上前の著作なので、天皇制に寄生するような西武グループの当時のあり方が同時代的に描かれていることが興味深いです。もし現在、西武グループを題材としたとすれば、天皇制の周辺としての権力の勃興と衰退、そして周辺の政治的ダイナミズムとは超然として生き続ける天皇制の不死性が、浮かび上がるはずです。
一見、見えない権力=天皇制がテーマのように見えますが、あるいは天皇制さえも、日本人の心性の空虚として存在する見えない権力の一部でしかないということが、猪瀬直樹が追求した真のテーマなのかもしれません。
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